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北海道の廃線跡探訪 第55回 胆振線(3/6)久保内~北湯沢間
1.ごあいさつ
ご訪問ありがとうございます。
北海道の廃線跡探訪第55回 胆振線伊達紋別~倶知安間その3 久保内~北湯沢間です。
この区間は、国道に転用されたところ、転用工事中のところ、遊歩道やサイクリングロードとなったところ、放置されたところなど、さまざまです。
一部には鉄橋も残っています。
なお、これからの投稿予定路線などは、初回記事にありますので、そちらをご覧ください。
2.久保内~蟠渓
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久保内を出ると国道とクロス、南側へ移った路盤には、赤いガーダーのレルコマ川橋梁(川名はレルコマベツ川)が残っており、並行する国道からよく見える。
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橋の写真を撮っていたら、近所の人が声をかけてきた。
なんでも、久保内発電所までの路盤を買い取り、2016(平成28)年自費で桜の木を植えたとのことで、その甲斐あって今では美しい桜並木になっている。
開業当時を知っているような年齢には見えなかったが、「(国鉄)胆振線」ではなく「胆振縦貫鉄道」が通っていたと語ってくれたのが印象的だった。
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やがて両側から山地が迫ってくると、第4長流川橋梁で再び長流川を渡る。
このあたりから蟠渓までは、国道つけかえ工事の対象区間となり、新しい道路が胆振線跡を利用して建設中。
以前は、久保内方に第4長流川橋梁の橋台と斜面に最初の高い橋脚があり、川の中には、橋脚の基礎も残っていた。
2023年11月現在、橋台はすでになく、橋脚だけが真新しい道路橋の橋台の蔭に見えた。
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対岸の蟠渓方も道路化工事が始まり、路盤は大きく改変されている。そのため、近年まで姿をとどめていた白水川橋梁も撤去され、新しい道路橋が架かっている。
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(タイトル写真は残っていた白水川橋梁 2017年10月撮影)
白水川を渡ると直角に北へ曲がり蟠渓に着く。
蟠渓はひなびた谷間の温泉街の南端に位置し、駅前広場から階段を上ると、なかなか凝った柵のある下りホームがあった。
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しかし、道路化工事が進み、2023年11月には一部を除いてなくなっていた。
黒い機器箱が奇蹟的に残り、上りホームの跡だろうか、古枕木の土留めがある。
いずれにしろ、あと少しで消え去る運命。
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3.蟠渓~北湯沢
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蟠渓~優徳間は両側から山が迫り、長流川の渓谷を行く。
胆振線は蟠渓を出ると国道とクロス、すぐ優園川と第3長流川橋梁が連続していた。
踏切跡から北湯沢手前の優園架道橋までは国道転用工事が進められ、2016年2月に開通している。
路盤は大幅に改築され、ウエンベツトンネルは撤去されるなど、鉄道時代の面影はほとんどない。
ただ、道路横には胆振線時代の古いコンクリート擁壁が残り、消えかかった陶製の銘板がついていた。
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北湯沢方手前で新国道は左に曲がり長流川を渡って元からの国道に合流するが、胆振線は直進し、第2長流川橋梁と優園架道橋を渡っていた。
廃止後もしばらくそのままだった鉄橋も、今は完全に撤去されているが、北湯沢方の堀割の先には優園トンネルがある。
ポータルは金網で閉じられているが、反対側の明かりはよく見える。
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長大トンネルこそないが、山間に大小の橋梁が連続するこの区間は胆振線のハイライトともいえ、一地方私鉄が建設した路線とはとても思えない。
内地私鉄唯一の自社発注D51形5輌の導入とともに、鉱石輸送の重要度がうかがえる。
国有化時に優園停留場から改称・昇格した北湯沢は、温泉ホテルの駐車場に変わっている。
ホテル入口の脇に傾きながらも建っている、駅跡を示す細い木柱が唯一の証だが、今ではほとんど字が読めなくなっている。
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ここから蟠渓方はバードウオッチングのための遊歩道となっていたが、2023年5月には入口にロープが張ってあった。
その手前には、鉄道当時の小さなIビームの鉄橋がそのまま利用されている。
遊歩道の途中には立派な落石止擁壁もあるが、大雨で土砂が流入したこともあり、維持管理は楽ではなさそうに思える。
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遊歩道はトンネルまでは続いておらず、トンネル手前はヤブになっている。ところが、目を凝らすと、けもの道のような踏み分け道がある(ようにみえる)。
そこを行くと、優園トンネルに続くスノーシェッドが見え、内部には勾配標の支柱と思われる杭が横たわっていた。
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今回はここまでです。
おしまいまで読んでくださり、ありがとうございました。
次回は北湯沢から御園へ向かいます。