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北海道の廃線跡探訪 第6回 天北線(6/10)浅茅野~小石間
1.はじめに
ご訪問ありがとうございます。北海道の廃線跡探訪 天北線の第6回です。
今回は浅茅野から鬼志別を経て、小石へと向かいます。
サイクリングロードは猿払が終点となり、そこから鬼志別までは道道猿払鬼志別線となっています。
路盤は鬼志別の先で復活、鬼志別川と道道138号に並行していますが、ヤブが濃く、歩けるところはほとんどありません。
なお、これからの投稿予定路線などは、下記記事にありますので、そちらをご覧ください。
2.浅茅野~猿払
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浅茅野を出たサイクリングロードは、次第に築堤となり猿払川橋梁を渡る。ここもガーダー橋がそのまま転用され、「猿払川橋」と名づけられている。
銘板には平成6年9月完成とあり、これは猿払手前の狩別川まで同じだった。
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浅茅野方の路面は鉄橋との境で下がり大きな段差ができ、サイクリングロードは通行止めとなっている。
そのため、橋を渡った先はところどころイタドリやススキが大きく生長し、少々荒れている。
しかし、途中には78㎞の距離標も残り、廃線跡の風情が漂っている。
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濁川橋梁はガーダー3連、中西川橋梁はIビームの2連だった。
中西川橋梁のコンクリート製の橋台や橋脚には昭和37年の銘板がある。
中西川の先にも78.5㎞を示す距離標が立っていた。
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中西川の先の村道踏切跡は道路が直線化され、サイクリングロードは斜交している。
2012年には、まだ「北オホーツクサイクリングロード」の標識があったが、2023年には、それも見あたらず、路面が見えないほどヤブ化していた。
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猿払に近い狩別川橋梁はPC桁3連の橋で、橋台には昭和46年3月竣工を示す旭川鉄道管理局の銘板もついている。
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猿払方の踏切跡から狩別川橋梁までは、なにかの工事をしたらしく、クルマが入れるようにされていたが、反対側の猿払までは路面が見えないほど両側からササが生い茂り、通行止めとなっている。
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3.猿払~鬼志別
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サイクリングロード終点の猿払には、バス回転場と待合室があるだけで、駅の痕跡はまったくない。
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サイクリングロード案内板にある予定?とは違い、ここから路盤は道道1089号猿払鬼志別線となり、鉄道時代の面影はない。
ポロ川と猿骨川に架かる道路橋の名前が、それぞれ天北猿払橋・天北猿骨橋となっているのが唯一の名残だろうか。
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芦野も旧駅前通りにかすかに駅を感じさせるだけとなり、一角には芦野地区交通公園があるが、「交通」に関するものは何もない。
道路は徐々に西に向きを変え、鬼志別市街へと入っていく。
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3.鬼志別
鬼志別は猿払村の中心集落。猿払村はホタテの産地として有名で、日本一裕福な村ともいわれる。
それでも、天北線廃止時には3,000人以上あった人口は、2023年には2,800人ほどになっている。
鬼志別は内陸部に位置するため、「ホタテ御殿」などとやっかまれるような「豪邸」はないが、村役場にはとても見えない、すばらしい役場庁舎がある。
市街地の道路には「鬼志別駅」と書かれた標識が猿払方・稚内方ともにあり、元の駅前通りには食堂・金融機関・旅館・商店などが並び、クルマの出入りも多い。
市街南端にあった駅跡にはバスターミナルなどが建ち、痕跡はまったくないうえ、天北線営業時には市街中央(駅の北側)を通っていた鬼志別川が改修され、流路が市街南端(駅跡の南)に変わっているので、ちょっと戸惑う。
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バスターミナル内には、天北線関係の資料が展示されている。
天北線共通デザインの天然木を使った駅名板が吊り下げられ、鬼志別・猿払をはじめ、猿払村内各駅の駅名標・通票閉塞器・写真などが所狭しと並んでいる。
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なかには、鬼志別駅構内のレールを使った記念文鎮もあり、同梱された説明書にある、「長い歴史を刻んだ「天北線」を心に残しておこうと」という文が泣かせる。
鬼志別~旭川間の直通特急バス(「天北号」1日1往復)運行開始記念も兼ね全世帯に配ったとあり、展示資料の多さといい、猿払村の天北線に対する思いがわかる。
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猿払村のホームページには、天北線コーナー「思い出お~い天北線」まであり、営業当時の写真や資料が公開されている(2023年現在)。
4.鬼志別~小石
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鬼志別を出ると、路盤は新しい鬼志別川や施設敷地となり消失しているが、新しい道路と交叉した後、小道となって現れる。
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クルマが入れないようにするためなのか土盛りされていたが、その先にIビームの小さい橋が残っていた。
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第1鬼志別川橋梁には接近できなかったが、航空写真を見ると撤去されている。
第1鬼志別川橋梁を渡った天北線は、道道138号豊富猿払線に沿っていく。ところどころヤブがやや薄く、歩けるところもあり、Iビーム橋も残っている。
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七号線川にも同じような鉄橋があるが、こちらの路盤はヤブに覆われていた。
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5.小石
小石はかつてアメリカ・ボールドウィン製の蒸気機関車8100形がいた藤田炭礦専用線が接続することで有名だったが、炭鉱はとうに閉山、集落にも隙間が目立つ。
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駅跡には小石交流センターが建ち、その横に「望郷」と刻まれた記念碑がある。
裏には小石自治会の歩みとして、1922(大正11)年の小石駅開業から1999(平成11)年の記念碑建立までの歴史が刻まれていた(ただし、年月を経たためか、読みづらい)。
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小石の交通公園は、ここから曲淵方へ少し行った、集落内の郵便局そばにあるが、ごくありふれた小公園であり、交通関係のものはない。
駅跡ではないところへわざわざ「交通」公園を設置したのは、どういうわけだろうか。
今回はここまでです。おしまいまで読んでくださり、ありがとうございました。
次回はいよいよ天北線探索最大の難所、小石~曲淵間に挑みます。