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北海道の廃線跡探訪 第23回 留萌本線留萌~増毛間(1/2)


1.ごあいさつ

ご訪問ありがとうございます。

北海道の廃線跡探訪第24回 留萌本線留萌~増毛ましけ間(増毛線)その1 留萌~阿分あふんです。

増毛線は廃止からそれほど時間が経っていないので、駅舎などをのぞき、線路や鉄橋などの施設は、まだ多くが残っています
将来、施設の撤去や路盤の改変が予想されるので、投稿内容は、写真撮影時点の現状とご理解いただければ幸いです。

なお、これからの投稿予定路線などは、初回記事にありますので、そちらをご覧ください。

2.留萌本線留萌~増毛間(増毛線)小史

留萠~増毛間増毛線として1919(大正8)年着工、1921年11月5日留萠線として全線16.7㎞が開業した。

1927(昭和2)年10月、支線羽幌線を得た留萠線は留萠本線となり、1997(平成9)年4月には、漢字が「留萠」から「留萌」へ変更されている(駅を含む)。

独立した「増毛線」ではなく「留萠本線」であったため、特定地方交通線とはならなかったが、JR化後も輸送量の減少は止まらず、2014(平成26)年の輸送密度は39人と、JR北海道発足時1987(昭和62)年の420人の8%にまで減少してしまう。

2015年、JR北海道は留萌~増毛間の来年度中の廃止を通達、留萌市と増毛町も容認した結果、JR北海道は2016年4月廃止届を提出、翌年4月だった予定が繰り上げられ、同年12月5日廃止されている。
ここでは、深川~留萌間と区別するため、通称の増毛線とした。
増毛線廃止後10年足らずの、2023(令和5)年4月1日留萌本線石狩沼田~留萌間が廃止され、2026年には残りの深川~石狩沼田間も廃止が予定されている。

3.留萌

1/5万地形図留萌平成5年修正に加筆 ○数字は写真撮影地点(写真キャプション冒頭の数字)

旧留萌駅舎は駅名をはじめ表示がすべて撤去され、窓には目張りがされていた。
しかし、休日とあってか、駅前ロータリーにはクルマがぎっしり停まり、近所の駐車場として活用されているのかもしれない。

①閉鎖された旧留萌駅舎 2023年5月撮影

構内は立ち入り禁止の柵やロープで囲まれているが、レールが錆びている以外、まだ営業当時とさほど変わっているようには見えない

①柵越しに見た留萌駅構内 増毛方を望む 2023年5月撮影

しかし、大和田方の信号機には、使用停止の大きなX印がつけられているのが、廃線の現実を象徴しており、なんとも哀しい。

①同上 大和田方を望む 2023年5月撮影

ホームのつきる増毛方には、裏手の「道の駅るもい」への通路がつくられ、線路も通路のところだけ撤去されていた。

①駅裏手にある道の駅への通路 2023年5月撮影
①道の駅への通路から見た旧留萌駅構内 2023年5月撮影

将来、留萌市は駅舎を解体し、周辺整備をする予定となっている。

4.留萌~瀬越せごし

増毛線留萌を出るとすぐ国道231号とクロスする。ここは踏切部分だけ線路が撤去されている。

②国道踏切跡から旧留萌駅構内を望む 2023年5月撮影

続いてトラスの第十留萌川橋梁があり、昭和27年横河橋梁製作所製造の銘板もついている。
海側にもう1基トラスがあるが、こちらは1941(昭和16)年買収され留萠駅構内側線となった、留萠鉄道海岸線(南岸線:留萠~西留萠間)のもの。
このトラスにも昭和4年製造の銘板があり、1930年留萠鉄道開業時からのものかもしれない。

③留萌方から第十留萌川橋梁を望む 右は構内側線のもの 2023年5月撮影
③第十留萌川橋梁 手前は旧道路橋の橋脚 奥は構内側線のトラス橋 2023年5月撮影

第十留萌川橋梁を渡ると、路盤は次第に築堤となっていく。

最初の架道橋は、築堤もろとも撤去されていたが、次の架道橋には橋台が残り、海側には構内側線(旧臨港線)の橋台も残っている。

④撤去された架道橋 留萌方を望む 2023年5月撮影
⑤橋台の残る架道橋 右が留萌方・左が瀬越方 2023年5月撮影

ここから黄金岬の台地を切り通しで抜け、道道22号の港跨線橋を、つづいて「JR留萌本線」の銘板も残る、市道の跨線橋(黄金橋)をくぐる。
跨線橋から見ると、路盤には少し草が生えているだけで、線路も敷かれたままになっていた。

⑥港跨線橋から瀬越方を望む 向こうに見えるのは市道の跨線橋(黄金橋) 2023年5月撮影
⑦市道の跨線橋(黄金橋)から瀬越方を望む 線路標識もそのまま 2023年5月撮影

黄金橋を抜けると、切り通しから一転、海岸に出て、台地の端を行く。

⑧海岸沿いの路盤 瀬越方を望む 2023年5月撮影

瀬越は1926(大正15)年7月仮乗降場として開業、1969年10月には臨時駅、JR発足時の1987年4月駅に昇格している。

台地上にある市街地と海岸を結ぶ数少ない道路が、増毛線とクロスするところにあったが、ホーム跡の土盛りがあるだけになっている。
駅前後の線路が撤去されているのは、すべての中間駅に共通している。

⑨瀬越駅跡 左の土盛りはホーム跡 2023年5月撮影

5.瀬越~阿分

瀬越を出ると国道231号をくぐり、その山側へ移る。

⑩瀬越方から国道跨線橋を望む 2023年5月撮影

国道跨線橋下には勾配標が、礼受方には距離標が残っていたが、これは全区間にわたるようで、駅関係のもの以外は、ほとんど撤去されていないらしい。

⑪礼受方にあった距離標 深川起点からを示す 2023年5月撮影

跨線橋を抜けるとPC桁のオタロマセタベツ川橋梁を渡る。

⑫オタロマセタベツ川橋梁 平成10年の銘板がついている 2023年5月撮影

礼受までには、セタベツ川などにIビームの橋がある。

⑬セタベツ川に架かるIビーム橋 2023年5月撮影

礼受増毛線開業時舎熊とともに開設された駅だが、末期には無人化され、増毛線内では列車交換のできる駅はなくなっていた。
廃止後もしばらく、ヨ5000形か3500形の車体を転用した貨車駅舎が残っているのが、国道からも見えたが、2023年には駅舎もホームも撤去され空き地になっていた。

⑭まだ残っていた礼受駅 右が貨車駅舎 2018年5月撮影(駅舎正面の写真は冒頭にあります)
⑭同上地点 なにもなくなった礼受駅跡 2023年5月撮影

礼受の先で増毛町に入る。
阿分までは、線路が撤去されているところもあるが、小さいコンクリ橋やIビーム橋が残っていた

⑮踏切跡から礼受方を望む 2023年5月撮影
⑯残っていたIビーム橋 2023年5月撮影

阿分小学校の裏手にあった阿分は、1963年12月、信砂・朱文別・箸別とともに開設された仮乗降場で、JR発足時に駅に昇格している。
駅跡にはなにもなく、小学校も閉校している。

⑰信砂方から阿分駅跡を望む 左が旧阿分小学校校舎 2023年5月撮影

今回はここまでです。

おしまいまで読んでくださり、ありがとうございました。

次回は増毛線唯一のトンネル、阿分トンネルを経て、終点増毛へ向かいます。

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