北海道の廃線跡探訪 第83回 池北線(北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線)(4/10) 足寄~大誉地間
1.ごあいさつ
ご訪問ありがとうございます。
北海道の廃線跡探訪第83回 池北線(北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線)その4 足寄~大誉地間です。
この区間も小河川に橋台が残るほかは、路盤は作業道になっているところもあります。駅跡では、愛冠駅舎が店として使われています。
これからの投稿予定路線などは、初回記事にありますので、そちらをご覧ください。
2.足寄~愛冠
足寄を出ると、愛冠方の路盤は遊歩道となり、佐野川の鉄橋も再利用されている。
ガーダーには「日本国有鉄道 1961」などと陽刻された銘板もついているが、コンクリートの橋台はすいぶん新しくみえるから、鉄道時代のものはガーダーだけかもしれない。
市街のはずれで遊歩道は終わり、路盤は新しい国道橋の建設工事のための残土置場となっていた。
第3利別川橋梁は、愛冠方は仮橋の下となって消え、足寄方にも橋台は見えなかった。
国道の切り替えにより路盤は消失しているが、下愛冠団地の東側で現れる。
ここから路盤は一部が作業道や農地となっているほかは、ヤブとなっているところが多いが、途中の小河川には橋台が残っている。
愛冠も1946(昭和21)年9月設置の仮乗降場だったが、5年あまりで駅に昇格、冠に似た形の駅舎で知られていた。
廃止後の駅舎では、夏季にはうどん店が営業していたが廃業し、しばらく空き家となっていた。
しかし、2021(令和3)年から総菜店となり、ほとんど駅舎当時と変わらなかった外観は、アルミ製だった窓枠や扉がアンティーク風の木製となり、おしゃれな外観に変わっている。
駅名標の枠も残るホームは、以前はうどん店の休憩場所として使われていたため、線路側にも手すりが設置されている。
花壇や駅前広場もきれいに整備されており、駅前の「愛の泉」(水飲み場)をはじめ、「愛」「カップル」の語呂合わせで人気があるらしい。
3.愛冠~上利別
愛冠からは再び国道と並行、途中には橋台やレンガのアーチ橋がある。
西一線の手前で、第4・5利別川橋梁を連続して渡るが、どちらも痕跡は見あたらない。
1960年5月設置の旅客専用駅で、仮乗降場並だった西一線も、ヤブから現れた路盤が道路とクロスした先で広くなっているだけだった。
西一線からも路盤はほとんどヤブに覆われ、第6利別川橋梁は西一線方に橋台を残している。
利別川を渡った路盤は作業道となり、1961年2月設置、仮乗降場並だった塩幌も跡形はない。
塩幌川へ向かう路盤には、コンクリート製の通信柱が何本も倒れていたが、川の直前で鹿よけ網にはばまれる。しかたなく国道へまわり川岸沿いに築堤まで行ってみたが、塩幌川橋梁の痕跡はなく、続く第7利別川橋梁にも跡はなかった。
上利別には風格ある木造駅舎が残っていたが、2016年解体され、今では駅前広場の植え込みが唯一の駅の名残となっていた。
国道に通ずる駅前通りなどには趣ある古い建物が散在、かつての盛時を思わせる。
笹森方にある製材工場の騒音が、ひと気のない静かな駅跡に響いていた。
3.上利別~大誉地
上利別を出るとすぐのパンケトメルペシュペ川には、レンガとコンクリートの橋台が一対ずつ残り、近くには、ツタのからみついた場内信号機が立っている。
路盤は利別川までヤブとなり、第8利別川橋梁には上利別方に大きな橋台があるが、笹森方は築堤もろとも撤去され、そのときに抜かれたらしい通信柱が何本も横たわっていた。
川の先の路盤は並行する国道から一段下がり、作業道として使われていたらしいが、入口には通信柱を横倒しにしてあり、すでに使われていないようだった。
途中にはまだ新しさの残るコンクリート製の59.5㎞の距離標や曲線標もあり、廃線跡の雰囲気に満ちているが、やがてヤブに覆われてしまう。
笹森の手前でも連続して利別川を渡るが、第9利別川橋梁の痕跡はなく、橋台撤去跡なのか上利別方の築堤は大きく削られていた。
第10利別川橋梁は、国道の橋から上利別方に石積み擁壁と橋台のようなものが見える。
1948年8月設置され、国鉄時代は仮乗降場だった笹森も、JR発足時駅に昇格後、銀河線に引き継がれたが、実態は仮乗降場のままだった。
駅の痕跡はまったくなく、上利別方は伐採地となって開けていたが、大誉地方はまったくのヤブで、どちらにも何本かの通信柱が空しく立っているのが印象的だった。
大誉地との中間あたりの斗伏川の都府市川橋梁はなにもないが、大誉地市街の築堤に橋台が2対残っていた。
このあたりにも傾いた通信柱が列をなしている。
大誉地は、再利用目的で残されていた駅舎もなくなり、舗装された駅前広場があるだけで、一面のヤブになっている。
今回はここまでです。
おしまいまで読んでくださり、ありがとうございました。
次回は大誉地から陸別へ向かいます。