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北海道 鉄道残照~失われた鉄道の遺産あれこれ

その6 さよなら夕張鉄道新二岐駅舎


1.ごあいさつ

ご訪問ありがとうございます。

ことしからnoteをはじめ、「北海道の廃線跡探訪」なる、国鉄地方交通線廃線跡を主にした記事を投稿しています。

ここでは車輌や遺構のことなど、つれづれなるまま、書いていこうと思います。
同世代のかたや先輩諸氏にとっては、ご存じのことが多いでしょうが。

お気軽に、読みとばしていただければ・・・

2.夕張鉄道とは

夕張鉄道は、函館本線野幌から、室蘭本線栗山夕張線鹿ノ谷を経て、新夕張(のちの夕張本町)までの50㎞あまりの鉄道でした。

1926(大正15)年、新夕張~栗山間が開業、1930(昭和5)年には、野幌まで延長開業しています。

夕張鉄道は、夕張の炭鉱で産出する石炭を、小樽港へ最短距離で運ぶという、短絡線の性格もあったため、国鉄接続駅が途中に2カ所もあるのが特徴でしょう。ほかにも、錦沢にしきざわのスイッチバックなど特色ある路線です。

戦後の昭和30年代には炭鉱と共に全盛期を迎えますが、昭和40年代にはエネルギーの石油への転換により、炭鉱はつぎつぎと閉山、夕張鉄道も最後まで残った北海道炭礦汽船ほっかいどうたんこうきせん平和鉱の閉山により、1975(昭和50)年廃止されています。

3.夕張鉄道の駅舎

1/5万地形図「夕張」昭和47年修正に加筆

夕張鉄道の駅舎は、開業時の写真帖をみると、中間駅は同系の駅舎が多かったようです。

1930年開業以来の北長沼駅舎 半世紀を経た姿 1980年8月撮影

しかし、戦後に夕張の発展とともに旅客輸送も盛んになるにつれ、つぎつぎと建て替えられ、大型の建物になっていきました。

立派な若菜駅舎 線路は夕張線 1979年12月撮影
若菜駅舎 ホーム側 1979年12月撮影

平坦区間だった、野幌~栗山間は、復活計画もあった関係からか、駅舎が比較的おそくまで残っていました。
野幌方から、北海鋼機前ほっかいこうきまえ南幌なんぽろ・北長沼・(国鉄栗山駅)・継立つぎたて新二岐しんふたまた・錦沢・若菜わかな・営林署前・(国鉄鹿ノ谷駅)・夕張本町ゆうばりほんちょう(=夕張市民会館)が、自分で確認できた駅舎です。

北海鋼機前駅舎 まだホームや腕木式信号機もあった 1992年5月撮影

4.新二岐駅舎

新二岐駅舎道道3号札夕線沿いにあり、その特徴ある外観から、よく目をひきました。
同じ道道沿いにある、継立駅舎が平凡な平屋の建物なのに対し、こちらは大型で、特色あるデザインです。

新二岐駅舎 ホーム側 このころはまだ会社事務所となっていた(道路側正面の写真は冒頭にあります) 1992年5月撮影

先日、新二岐駅舎がなくなったとの情報を得、驚いて調べてみたところ、事実だとわかりました。
グーグルのストリートビューでも、バス待合室の横が空き地になっていました。
余談ですが、北海道中央バスのバス停は新二。今はここの路線がなくなった夕鉄バスは、もちろん新二岐でした。

これで、夕鉄駅舎で残っているのは、継立営林署前、それに夕張本町(夕張市民会館)だけになりました。

継立は一見駅舎とは見えないような建物ですし、営林署前はサイディングなどできれいに改装され、あまり面影はありません。
夕張市民会館もそこに乗り入れていたというだけで、もともと全体が駅舎ではないうえ、すでに閉鎖されており、消え去る日も遠くなさそうです。

継立駅舎 1990年7月撮影
営業当時とほとんど変わらないころの営林署前駅舎 右のモーム上屋は現存 1979年12月撮影

新二岐駅舎は、夕鉄ばかりか、夕張の繁栄を物語るような、個性的な駅舎の最後の生き残りでした。
使われなくなってから長い年月が経ち、老朽化していましたから、しかたのないこととはいえ、やはり残念です。

若菜駅舎の横を通過する夕張線上り列車 1979年12月撮影

今回も、おしまいまでお読みくださり、ありがとうございました。

ご意見・ご感想、そしてご要望など、どうぞお寄せください。

次回はまた国鉄気動車の話題です。こちらもよろしくお願いします。


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