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北海道の廃線跡探訪 第88回 池北線(北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線)(9/10) 訓子府~北光社間


1.ごあいさつ

ご訪問ありがとうございます

北海道の廃線跡探訪第88回 池北線(北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線)その9 訓子府くんねっぷ北光社ほっこうしゃです。

この区間も農村地帯なので、路盤はあまり残っていませんが、小橋梁の橋台などがあるほか、訓子府、日ノ出、上常呂の駅舎が今も使われています。

これからの投稿予定路線などは、初回記事にありますので、そちらをご覧ください。

2.訓子府~日ノ出ひので

1/5万地形図「留辺蘂」「北見」ともに平成7年第2回編集に加筆

訓子府駅舎も銀河線時代の2000(平成12)年改築、農業交流センター「くる・ネップ」と併設されている。
廃止後の今でも、正面には「ふるさと銀河線 訓子府駅」と大きく表示され、銀河線時代とさほど変化がないように思える。

①元訓子府駅舎 2023年10月撮影

駅舎裏側の上りホームには出発信号機や枠だけになった駅名標、ワンマン運転用のミラーなども残っているが、北側にあった下りホームは失われている。

①駅舎側の上り1番ホーム 2017年9月撮影(タイトル写真も同じ)
①レールの残る、下り2番ホームへの構内踏切跡 2023年10月撮影

旧構内は銀河公園として整備され、西富方に造成された丘の頂上には「SL銀河号」を牽引したC11 171号機の第一動輪(模造)を主とした記念碑がある。
駅舎に突き当たっていた駅前通りもS字状に曲がり北側へ貫通している。

①西富方にある銀河公園の記念碑 2017年9月撮影
①記念碑の解説 2017年9月撮影

築堤となっている路盤は、訓子府市街を過ぎると、酒谷川にコンクリートの橋台を残すだけで、農地化されている。

②訓子府市街の築堤 2017年9月撮影
③酒谷川に残る橋台 2017年9月撮影

1957(昭和32)年設置の仮乗降場からの昇格組で、道道と再び近接したところにあった穂波も、路盤があるだけで痕跡なく、訓子府方の路盤はバス会社の敷地となっていた。

④踏切跡から穂波駅跡を望む 2017年9月撮影

ここからも路盤はところどころ農地化されて消えている。

日ノ出は1947年2月仮乗降場として設置、1950年1月駅に昇格、有人駅となり駅舎も建てられていた。そのためか、国鉄時代再び無人駅となっていたのに、銀河線開業後の1998年駅舎が新築されている。

⑤旧日ノ出駅舎 2023年10月撮影

駅名は日ノ出だが、地名や公園名は日出、近くの常呂川に架かる橋は日の出橋と、表記がまちまちとなっている。

旧駅舎は日出公園の休憩所兼公衆便所として使われており、休憩スペースには、2017年9月訪問時には国鉄時代の木造駅舎の写真が貼られていた。

⑤休憩スペースに貼られていた旧駅舎の写真 2017年9月撮影(2023年10月にはなかった)

裏側にはホームが残っているが、路盤は隣接する石灰工場の通路となり、敷地の一部と化しているように見えた。

⑤裏側に残るホーム 2023年10月撮影

ほかには鉄道を感じさせるものはなく、旧駅舎の正面・ホーム側とも「日ノ出駅」の表示を「日出公園」と変えているから、知らない人はただの公園施設だと思うかもしれない。

3.日ノ出~北光社

1/5万地形図「北見」平成7年第2回編集に加筆

日ノ出から路盤は作業道やヤブとなって続き、川北排水川には護岸に隠れるように橋台が残っていた。

⑥川北排水川にある広郷方橋台 2017年9月撮影

用水路にコンクリート橋、山林川にも橋台があり、いよいよ北見市へ入る。

⑦用水路に残るコンクリート橋 2017年9月撮影
⑦同地点から日ノ出方を望む 2017年9月撮影
⑧山林川の橋台 2017年9月撮影

1955年9月設置の仮乗降場出身の広郷ひろさとも、路盤が広くなっているだけで跡形もなくなっているが、低い築堤が残る西13号附近には橋台があった。

⑨踏切跡から広郷駅跡を望む 2017年9月撮影
⑩西13号附近に残る橋台 2017年9月撮影

やがて路盤は十勝オホーツク自動車道の築堤にぶつかり消失するが、上常呂方で再び現れる。広郷川には橋台があり、路盤は草の刈られた低い築堤となって上常呂かみところへ続いている。

⑪広郷川の橋台 広郷方を望む 画面右手から上方を横切る築堤が十勝オホーツク自動車道
2017年9月撮影
⑪同上地点から上常呂方を望む 2017年9月撮影

上常呂も銀河線時代の1994年、上ところコミュニティプラザと併設の駅舎となっている。

⑫元上常呂駅舎 2017年9月撮影

構内は「上ところ銀河公園」として整備され、駅名標を模した看板やふるさと銀河線メモリアル・レールも展示されている。

上ところコミュニティプラザには、北見市役所上常呂出張所・北見市立中央図書館上ところ分室が入居しており、駅部分は閉鎖されているが、各所にある「上常呂駅」の表示もそのままになっている。

⑫ホーム側の駅名標風看板 駅名表示もそのまま残る 2023年10月撮影

小さな中庭のようなところには、モニュメントなのか、線路とポイント転轍器が館内から見えるように復元されていた(ただし路盤とは直角方向)が、外の道路からは見づらい。

⑫中庭?にある線路のモニュメント 2017年9月撮影

駅裏に建ち並んだ大きな農業倉庫にはトラックが並んでいたから、駅がなくなった今でも農産物集荷の拠点としての役割を担っている。

ところで、「上常呂」の表記がまちまちなのは、地名表記が北見市上ところだから。
ちゃんと「常呂」と書けばいいのに、なぜひらがなにするのか理解できないが、こうした見苦しい表記をすることは、地名さらには地域の歴史を軽んじているように感じる。

北見市中心部には「とん田」(「とんだ」ではなく「とんでん」)なる、ケッサクな珍地名もある。
当時の当用漢字表(現在は常用漢字表)に合わせたのかもしれないが、本来地名は適用外。交ぜ書きの地名というのも全国的にも稀ではなかろうか。

平成の大合併で留辺蘂町と常呂町が北見市となったが、さすがに「北見市留辺しべ町」とか「北見市ところ町」にはならなかった。こんな愚かしいことをしたら、合併された町の人たちにも失礼だろうし。

上常呂市街の路盤は引き続き公園となっているが、やがて草の生えた広い空き地となり、再び十勝オホーツク自動車道の築堤にさえぎられる。
反対側にまわると、イワサキ川に橋台が残っていた。

⑬踏切跡から北光社方を望む 2017年9月撮影
⑭イワサキ川に残る橋台 北光社方を望む 2017年9月撮影
⑭同上地点から上常呂方を望む 十勝オホーツク自動車道の築堤下から路盤が現れる
2017年9月撮影

今回はここまでです。

おしまいまで読んでくださり、ありがとうございました。

次回は北光社から終点北見へ向かいます。

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