北海道の廃線跡探訪 第2回 天北線(2/10)上音威子府~小頓別間
1.はじめに
ご訪問ありがとうございます。
第2回はいよいよ峠越え(天北トンネル)です。ここは音威子府村と中頓別町の町村境でもあり、天北線の名前の由来である、元の天塩国(音威子府村)から元の北見国(中頓別町)に入ります。
トンネルを抜けると栄川に、鉄橋が7カ所架かっています。
なお、これからの投稿予定路線などは、下記記事にありますので、そちらをご覧ください。
2.上音威子府~天北トンネル
上音威子府の先で天北川の支流に架かる嘉平川橋梁を渡る。
管理用通路のあるガーダー橋だが、2019(令和元)年5月には通路が崩壊していた。
3.天北トンネル
天北川に沿い天北線と国道は次第に山間部へと入っていく。
サミットの手前で国道は天北線をオーバークロスしていたが、登坂車線設置のため新道に切り替えられ、旧道にあった上音威子府跨線橋も撤去された。
新道の築堤を路盤へと降り、ヤブをかき分けて進んでいくと、天北線唯一のトンネル、天北トンネル(全長376m)の重厚なレンガ造りのポータルが見える。
内部はバラストもそのまま残り、巻立てもしっかりしている。小頓別方のポータルには上部に4か所の四角い穴と片側に半円形の穴が設けられていた。
4.天北トンネル~小頓別
天北トンネルを抜けた天北線は栄川に沿って下っているが、トンネルから小頓別までも並行道路がない。
小頓別方の林道から接近を試みたが、天北線へ向かっていた枝線はもはや廃道状態で、ついには植林地のなかに消えてしまい、路盤まではたどり着けなかった。
結局、正攻法で?まだヤブが濃くならない時期に路盤を歩くしかなく、またトンネルを通り、最初に栄川を渡るところまで行くことができた。
この第1小頓別川橋梁はIビーム橋で、途中にはコンクリートの雪崩防止壁(スノーシェッドの土台?)もあった。
橋は栄川下流の小頓別方に集中している。
晩秋に訪れてみると、まだ路盤はヤブも濃く、枯れたイタドリが盛大に突っ立っていたので、翌年初春、川渡りを覚悟して長靴を準備して行ってみた。
さすがにイタドリもまだ生えていないし、すでにササは起き上がっていたが、高さは1mほどしかなく、なんとか歩けるようにみえたので、ヤブに突入。
一番下流の第7小頓別川橋梁には、少し痛んでいるものの管理用通路があるので、楽に渡れる。
路盤はところどころでササが消え、少し歩きやすくなり、途中に距離標(丙号)や通信施設のようなものが立っている。
天北線は栄川の屈曲部を直線的に進み、第6小頓別川橋梁と第5小頓別川橋梁が連続するが、ここには管理用通路はおろか枕木すらなかったので渡れず、川岸に沿って迂回した。
第4小頓別川橋梁と第3小頓別川橋梁も、第5・第6と同じ状態で、ササが密生する川岸を行くのは懲りたので、水量が少なく流れもゆるく、かつ河底が滑りにくそうなところを慎重に渡り、第2小頓別川橋梁までたどり着くことができた。
第2小頓別川橋梁は架け替えたらしく、下流側に旧線の橋台と築堤がある。
これらの橋はいずれも淡緑色のガーダー1連の鉄橋で、天北線ではおなじみのものだった。
5.小頓別
小頓別は、小頓別・上頓別・中頓別・下頓別・浜頓別・頓別(これは興浜北線だが)という「頓別」シリーズの最初の駅で、2年たらずとはいえ、終着駅でもあった。
もとの構内には消防分団やバス待合室が建ち、敏音知方は公園になっている。
駅跡を感じさせるものはバス待合室にある小頓別駅の駅名板、駅前通りにある、栄川を渡る橋の歩道の路面に蒸気機関車の画があるくらいだろうか。
国道沿いの集落はすっかり家が少なくなり、商店もなくなってしまった。
しかし、国指定登録有形文化財に指定されている旧丹波屋旅館の偉容は、ここから歌登を経て北見枝幸へ通じていた殖民軌道枝幸線があったころの賑わいを感じさせてくれる。
今回はここまでです。最後までお読みくださり、ありがとうございました。
次回は小頓別から敏音知へ向かいます。