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北海道の廃線跡探訪 第30回 羽幌線(6/7)豊岬~遠別間


1.ごあいさつ

ご訪問ありがとうございます。

北海道の廃線跡探訪第29回 羽幌線留萠~幌延ほろのべその6 豊岬とよさき遠別えんべつです。

豊岬の先には連続する第1~4豊岬トンネルのほか、トンネルが7カ所あります。最後の共成トンネルで羽幌線のトンネルはおわりです。
橋梁は、かなり残っていますが、すべてPC桁です。

なお、これからの投稿予定路線などは、初回記事にありますので、そちらをご覧ください。

2.豊岬~天塩大沢

1/5万地形図「初山別」昭和55年修正に加筆

豊岬の先には4か所もトンネルが連続している。

まず、国道からよく見える第1豊岬トンネル(178m)は、近くに農道があり、接近容易かと思われた。
ところが農道は手前で終わっており、見上げる高さの築堤にはササや背の高い草が密生。地図を見ても、この連続するトンネルに近づける道は他にない(と思っていた)。
草をかき分け築堤へのぼると、ヤブの中に第1豊岬トンネルがあった。ここも短いうえに一直線なので、難なく歩ける。

①第1豊岬トンネルの豊岬方ポータル 2011年7月撮影

トンネルを抜けると路盤には背の高い草が密生しているが、見通しが悪いだけで、それほど歩行困難というほどでもなく、意外なことに砂利道に出た。
不思議に思いながらも再びヤブを進み、第2豊岬トンネル(155m)に着く。

帰宅後、最新の2万5千分の1地形図を確かめると、第1・第2豊岬トンネルの間に小道が描かれている。ここから来れば、汗だくになって築堤をよじのぼることもなく、ずっと楽だったはずだった。

②第2豊岬トンネルの豊岬方ポータル 2011年8月撮影

ここの天塩大沢方も切り通しで、またヤブ。そこを抜けると、背の低い草が生えているだけで歩きやすい築堤となるが、またまたヤブとなり、その奥に第3豊岬トンネル(178m)が口を開けていた。

③第3豊岬トンネルの豊岬方ポータル 2011年8月撮影

トンネルは少しカーブしており、なぜか途中に明かりが見える。意外に長いと思いながら行くと、87kmの距離標があった。

途中にさきほど明かりが見えた出入口があり、踏み分け道が林の中に消えている。板も渡してあったから、山菜採りか何かで利用する人がいる(いた)らしい。

④第3と第4豊岬トンネルの間の通路? 2011年8月撮影

やっと出た天塩大沢方ポータルには、第4豊岬トンネルとあったので、第3と第4(125m)とを改修工事でつないだらしい
トンネルの先の路盤は樹木に覆われていた。

⑤第4豊岬トンネルの天塩大沢方ポータル 2011年8月撮影

豊岬トンネル群を過ぎるとオヤルフツ・・・ナイ川を渡る。ここにはオヤフルツ・・・ナイ川橋梁(地図上の川名とは違っているが誤記?)が架かっており、国道からも見える。
踏切のあった道路から橋まではヤブだが、何とか通ることはできた。

⑥オヤルフツナイ川に架かるオヤフルツナイ川橋梁 2020年5月撮影

橋を越えて築堤を下ると国道に近接、ホームと待合室だけの仮乗降場並だった天塩大沢があった。
しかし、ここにも何もなく、路盤は再び国道と離れて丘陵地帯へと向かう。

⑦天塩大沢駅跡 共成方を望む 2011年7月撮影

3.天塩大沢~歌越

1/5万地形図「初山別」昭和55年修正に加筆

天塩大沢からしばらくは、道路に転用されていたのか、背丈の低い草だけで轍の跡もあるので、容易に歩けた。

突きあたりはトンネルのはずだから、どうせ途中でヤブになっているのだろうと思ったが、案の定だんだん怪しくなってくる。
次第に深くなるヤブをくぐると、大沢トンネルのポータルが見えた

⑧大沢トンネルの天塩大沢方ポータル 2011年7月撮影

ここは少しカーブしているが、113mと短いのですぐに通れる。ここにも89kmの距離標があり、共成方は切り通しが崩れ、土砂がトンネルにまで入り込んでいた。

大沢トンネルを抜けるとトコマナイ川を渡る、PC桁2連の登駒内橋梁が残っている

⑨登駒内川橋梁 2013年6月撮影

共成までにはもうひとつ、全長200mの登駒内トンネルがあり、トコマナイ川沿いの林道の踏切跡から入れる。

⑩登駒内トンネルの天塩大沢方ポータル 2013年6月撮影

共成手前の道路をくぐるだけの共成トンネル(12m)の前後には、道路から投げ捨てたのか大量のゴミがある。
廃止後こんな短いトンネルもご丁寧に塞いだとみえ、その部材と思しき木材も散らばっていた。
コンクリート製のトンネル自体はしっかりしており、ポータルには「1967-6」の刻印や銘板も残る。

⑪共成トンネルの共成方ポータル 2013年6月撮影

これも仮乗降場並みの共成は、駅への取付道路すらなくなり、牧草地と畑の間がそれと思われるくらい。
そこをたどると路盤に出たが、足元のバラストが路盤を示すだけで、駅の跡は何もなかった

⑫歌越方より共成駅跡を望む 2011年7月撮影

歌越手前のオタコシベツ川橋梁も痕跡なく、国道沿いの集落を過ぎたところにあった歌越の旧駅構内は、牧場の作業場になり、駅の跡はなにもない。

⑬歌越駅跡 天塩金浦方を望む 2023年9月撮影

ここにもブロック造の壁だけになった、鉄道官舎だったらしい建物が残っている

⑬歌越駅跡に残る鉄道官舎? 2023年9月撮影

3.歌越~遠別

1/5万地形図「初山別」「遠別」ともに昭和55年修正に加筆

歌越からは国道に並行して日本海沿いを北上、モオタコシベツ(茂歌越別)川には、PC桁の旭川橋梁がある。残っている橋の中では金駒内川橋梁の一部に次ぐ規模で、国道からも見ることができる。

⑭モオタコシベツ川に架かる旭川橋梁 2011年7月撮影(タイトル写真も同じ)

橋の手前から未舗装道が路盤と並行し、一見すると廃線跡を転用したようにみえるが、羽幌線が営業していた当時の地形図にも載っている。

天塩金浦てしおかなうら手前には、短いPC桁の金浦川橋梁があるが、共成と同じような設備だった天塩金浦には何もない

⑮金浦川橋梁 2019年5月撮影
⑯遠別方より天塩金浦駅跡を望む 右は羽幌線営業時からあった道 2011年7月撮影

クマウシュナイ川にもPC桁の富士見川橋梁が残っており、その先から道の駅「えんべつ富士見」まで未舗装道になっている。

⑰富士見川橋梁 2020年5月撮影
 

遠別川橋梁はきれいに撤去され、遠別市街の路盤も住宅地や道路になっている。

遠別はバスターミナルに生まれ変わり、あたりの農業倉庫に駅の面影をとどめているだけ。

⑱遠別駅跡 2023年9月撮影

今回はここまでです。

おしまいまで読んでくださり、ありがとうございました。

次回は遠別から終点幌延へ向かいます。

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