北海道の廃線跡探訪 第13回 富内線(2/4)春日~穂別間
1.ごあいさつ
ご訪問ありがとうございます。
北海道の廃線跡探訪 第13回 富内線の第2回です。
富内線は春日から穂別まで鵡川に沿っていますが、並行道路がないため、いちいち、対岸の道道131号から道路橋を渡る必要があるので、時間がかかります。
なお、これからの投稿予定路線などは、下記の記事にありますので、そちらをご覧ください。
2.春日~旭岡
春日からは、路盤が農道として使われているところもあるが、ほとんどがヤブとなり、キリカツ沢川などにも橋の跡はない。
イクベツ沢川から旭岡までは、民有林林道春日旭岡線に転用されている。
以前訪れたとき工事中だった生鼈川橋梁は、道路橋のバロ沢橋に架け替えられ、河川改修もされたので痕跡はない。
橋の先の山側に、コンクリートの擁壁や枕木とレールで造られた雪崩(落石)防止柵が残っていたが、工事中通行止めとなっていた(工事はしていなかったが)。
やむをえず反対側の旭岡方にまわってみると、鹿よけのゲートがあった。
しかし、開閉自由との掲示があり、さきほどの場所まで行くことができた。
廃線跡の雰囲気が漂う未舗装道だが、途中の橋はすべて函渠に改築されている。
旭岡(旧・生鼈)は、駅前通りにかつての駅の存在を感じさせるが、駅前商店(木下百貨店)などはすべて閉まっていた。
元の構内は、広い空き地となっている。
3.旭岡~栄
旭岡から先の路盤も道路化されているが、道路脇に落石覆いが3か所残っている。
いかにも頑丈そうな覆いを撤去したり、道路用に拡幅したりするのは手間がかかるからだろうか。
今でも道路への落石防止の役割を果たしているように見える。
ここは正確には道路=路盤ではなく、道路はかなり改築されているのだろう。
道路はキキンニの沢川の手前で途切れ、路盤も現れるが、鉄網ゲートにはばまれる。ここは鍵がかけられているので、入れなくなっている。
この先で、富内線は旧鵡川町から旧穂別町へ入る。
栄(旧・似湾)は道道59号平取厚真線が鵡川を渡ったところにあった。
今では道道沿いにバス待合所があるだけで、駅跡は広い空き地となっている。
旭岡方の似湾川橋梁(川名は似湾沢川)も撤去されていたから、キキンニの沢川から入れたとしても、栄まではたどりつけない。
道道踏切跡から豊田方の路盤はヤブになっていた。
4.栄~豊田
道道74号に戻り、仁和大橋で鵡川を渡ると、農道となった再び路盤に出会えるが、やがて舗装道路となる。
カイカウニ沢川には、両側にコンクリートの廃道路橋があったので、路盤=新道と判断できた。
ツドウの沢川にも橋の跡はなく、その先の農家のあたりで少し路盤は道路と離れるが、はっきりとは確認できない。
宮崎沢川や三十点の沢川にも橋の跡はなく、路盤は道路化されているようにみえる。
踏切跡の先から路盤は山側に現れ、次第に高さを増していく。
ここにはコンクリート製の落石覆いが残り、両側とも入口はふさがれているが、道路からも見える。
やがて平地が開けてくると、路盤がそのまま農道になっているところもあるが、ここも鹿よけの鉄網で囲まれている。
豊田(旧・杵臼)は、郵便局のある駅前通りに雰囲気が残っているが、駅自体の痕跡はない。
5.豊田~穂別
穂別方のキナウス川に架かる杵臼川橋梁は道路橋に転用されている。
塗色は色あせているが、富内線で唯一残存する大きな鉄橋である。
下路ガーダーに鉄板を敷いてあるので、クルマで通るとゴロゴロと音が響き、あたかも列車で渡っているような感じがする。
鉄橋から先の路盤は、農家の敷地となり消失するが、道路との交叉地点からはヤブになり、並行道路もないためしばらく探索不能となる。
路盤は旧穂別町新興地区の南から、穂別市街で道道74号とクロスするところまでほぼ農道や道路に転用されている。
穂別は道道74号が、穂別橋で鵡川を渡った東北側にあったが、路盤は舗装道路、駅構内はふれあい公園になっている。
よく整備された、芝生が美しい公園だが、案内板には駅跡という説明はおろか、鉄道関係の記述がまったくない。
今回はここまでです。
おしまいまで読んでくださり、ありがとうございました。
次回は穂別から富内へ向かいます。