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北海道の廃線跡探訪 第73回 標津線(6/9)中標津~春別間
1.ごあいさつ
ご訪問ありがとうございます。
北海道の廃線跡探訪第73回 標津線その6 中標津~春別間です。
この区間は未舗装道になっているところがあり、当幌川やエトシナイ川などにガーダー橋が残っています。
なお、これからの投稿予定路線などは、初回記事にありますので、そちらをご覧ください。
2.中標津~協和
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中標津を出て標茶方面の路線と分かれ、西南方向から南東方向へ直角に曲がるところは、深い切り通しになっている。道路から見ると、草木が密生し、とても歩けそうにない。
そこを抜けると新しい住宅街となり、国道272号とクロスするまで町立中標津病院に取りこまれている。
国道の踏切は跡形なく、標津線は直線だったはずなのに、反対側は林になっている。ふと気がつくと、南側に砂利道があり、クランク状に廃線跡と思われる道へ続いていた。
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標津線はここで、25‰の急勾配で上った後、当幌川へ向け25‰で下っていた。
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協和まで行けると期待したものの、残念ながら途中にチェーンが張ってある。
チェーンを絡めてある片側の支柱は3㎞の距離標だったが、2021(令和3)年6月にはなくなっていた。
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チェーンの先も轍は続いているが、草が生えてクルマはあまり入っていないように見える。
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路盤は築堤や浅い切り通しのある森のなかを行く道になり、トホロ川橋梁へ着いた。
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ここも赤いガーダー3連の鉄橋で、河岸から伸びた樹木がガーダーを突き抜けていた。
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3.協和~春別
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1957(昭和32)年12月設置された協和は、駅があったあたりの路盤が廃品置き場のようになっており、痕跡はない。
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協和からは、路盤が作業道に転用されているところもあるが、ほとんどヤブとなっている。
エトシナイ川橋梁は、春別方で路盤が道道8号と近接したところから探ってみた。
道道から分れる小径(道道の旧道)はすぐ踏切となっているはずだが、跡はなく、その先はもはや森に没している。
路盤はところどころ草が密生しているが、背の低いササヤブとなっており、歩きやすい。
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エトシナイ川橋梁も見慣れた赤いガーダー橋だった。やはり赤い鉄橋は緑の樹林のなかでよく映える。
エトシナイ川を渡ると、標津町から再び別海町へ入る。
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春別方は農地への通路となっており、しばらくすると草が多くなるが、跨線橋(道路標識は別海跨線橋、銘板は中春別跨線橋)の手前までは何とか通れた。しかし、そこから農場となり立入禁止となっている。
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跨線橋から眺めると、その先の路盤も農場の作業道として使われているのがわかる。
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跨線橋から先の路盤は道路から離れた湿地帯や牧草地を通っているが、中春別市街の手前から道路と近づいてくる。
春別手前の中春別川に架かる黒百合川橋梁は、並行する道路橋からも赤いガーダーが林のなかにかすかに見える。
築堤から近づいてみると、橋には通行禁止の鉄柵が設けられており、並行していた旧道の橋脚も立っていた。
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春別は中春別市街の東端にあった。
駅跡はパークゴルフ場などの公園、「中春別ヘルスパーク」となり、面影はまったくない。
協和方に農業倉庫などが建ち並んでいるのが、駅跡を思わせるだけだった。
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余談だが、このあたりは広大な地域に「春別」が点在し、そのうえ西春別や中春別など、市街名と駅名が異なっているので、混乱する。
地名にはただの「春別」はないし、西春別はあるのに「東春別」はなく、上春別と中春別はあるのに「下春別」はない。
地元の人はなれているのだろうけれど。
今回はここまでです。
おしまいまで読んでくださり、ありがとうございました。
次回は春別から別海へ向かいます。