北海道の廃線跡探訪 第92回 白糠線(2/5)上白糠~縫別間
1.ごあいさつ
ご訪問ありがとうございます。
北海道の廃線跡探訪 第92回 白糠線その2 上白糠~縫別間です。
茶路の先で、はじめて茶路川を渡ります。
トンネルもこの区間に鍛高トンネルがあり、コンクリート橋が多く残っています。
なお、これからの投稿予定路線などは、初回記事にありますので、そちらをご覧ください。
2.上白糠~茶路
上白糠を過ぎたあたりから左手に茶路川が近づき、白糠線・国道・茶路川が絡みあうように谷筋を行く。
大苗川にもラサ川橋梁が残り、路盤はやがて北へ向きを変えていく。
路盤の一部は農地化されているが、オサッペ川などにもコンクリート橋が残っている。
オサッペ川に架かるコンクリート橋の銘板には、第2尾札部川橋梁とあったが、第1はどこかにあったのだろうか。それらしき川はなかったが、路盤が農地化されたところにあったのかもしれない。
少し離れた国道からは擁壁も見える。
再び国道と沿うと、道路のすぐ横に蓮花沢橋梁がある。
蓮花沢橋梁の先には、1974年7月設置された共栄仮乗降場があったが、痕跡はない。
この仮乗降場は国土地理院の地形図や道内時刻表にも出ていない。
茶路学校前バス停から茶路小中学校への近道は、一段高くなった路盤を横断している。路盤はヤブなのに、単管を使った手すりがあり、自転車が1台置いてあった。
すぐ真加代川橋梁となり、ここには桁・橋台・橋脚それぞれに銘板が残っている。
ヒサシ川に架かる西原川橋梁を過ぎ、茶路となる。駅跡は、取付道路が残るだけで、農地のなかの空き地になっていた。
2024年には、ここにも草地整備工事の現場事務所が置かれていた。
3.茶路~縫別
茶路の先で国道とクロスするところから、路盤の一部が新国道に転用されているが、その先は農地への未舗装道となる。
イオロウシ川に架かる第1要呂牛川橋梁はクルマも通行できるが、2024年にはほとんど土砂に埋もれかけていた。
白糠線は丘を上って行く国道を離れ、牧草地で築堤が消失しているが、その先に第2要呂牛川橋梁が残っている。
橋を過ぎると国道に近づくが、切り通しとなった路盤は国道からは見えない。
国道と同じレベルになると台下川橋梁があり、その先でいよいよ茶路川を渡る。
上茶路まで茶路川を渡る橋は、国道には2か所しかないのに、白糠線は川の屈曲にかまわず直進、茶路~上茶路間13.4㎞に10か所もある。
第1茶路川橋梁の前後は作業道となり、橋もバラストを撤去して転用されているので、クルマでも通行できる。
築堤は動物避けの鉄網に覆われ、川岸へ下りられないので、全景を撮るのは難しい。
作業道は橋のすぐ先で牧草地へ曲がってしまい、直進している路盤はヤブだが、それほど濃くはないので歩いてみた。
ひょっとしたら第2茶路川橋梁まで行けるのではないかと期待したが、ここも動物避けの鉄網にさえぎられて進めなくなる。
第2茶路川橋梁は、紫色が見事な特産のシソ畑の向こうに眺められた(タイトル写真 2017年8月撮影)。
築堤は農地への作業道となり、橋も活用されているようだが、通りがかるたび、農場には作業車が走りまわり、断ってさえ立ち入るのはばかられた。
2024年10月には農場にひと気がなかったので、経営者らしい民家を訪ねてみた。白糠線の橋の写真を撮らせてほしいとお願いすると、「白糠線?」と一瞬怪訝そうな表情だったが、すぐ、「ああ、それならどうぞ」と言ってくれた。
さっそく築堤から橋へ向かうと、作業車が通るためかバラストはなくなっている。
対岸は牧草地になり、路盤ははっきりしなかった。奥まで確かめたかったが、さきほど、「奥まで行きますか」「渡らせていただくだけで充分です」「奥はクマが出ますからね(笑)」と心配してくれたのを思い出し、やめにした。
路盤は再び国道とクロスするところから鍛高トンネルまで未舗装道となっていたが、いまは牧草地に変わっている。
縫別方のポータルは、国道から少し入ったヤブのなかに残っている。トンネルは145mと短いので、すぐ通り抜けられる。
白糠線は国道と並行しながら北へ向きを変え、第3茶路川橋梁は国道からよく見え、第4も遠望できる。
再び西へ転じるあたりには道東自動車道白糠インターがつくられているが、その手前に縫別川橋梁が残っている。
橋の先で路盤は消失、南大曲への道路を越えた先にある、民家が建っているあたりが縫別駅跡と思われるが、痕跡はない。
今回はここまでです。
おしまいまで読んでくださり、ありがとうございました。
次回は、縫別から上茶路へ向かいます。