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北海道の廃線跡探訪 第49回 松前線(3/4)茂山トンネル~渡島吉岡間


1.ごあいさつ

ご訪問ありがとうございます。

北海道の廃線跡探訪第49回 松前まつまえ木古内きこない~松前間その3 茂山もやまトンネル~渡島吉岡おしまよしおかです。

この区間もトンネルと橋梁が多く、とくに白符で海岸に出た後は、連続しています。トンネルはすべて残っていますが、橋梁は橋台すらないところもあります。

これからの投稿予定路線などは、初回記事にありますので、そちらをご覧ください。

2.茂山トンネル~渡島福島

1/5万地形図「大千軒岳」昭和49年編集に加筆

茂山トンネルの渡島福島方へは、福島川に沿った林道をさかのぼって行く。路盤は一部が林道となり、沢の手前で直角に曲がり、路盤転用区間は終わる。そこから反対側斜面を遠望すると、かなり高いところに鉄板で塞がれた茂山トンネルのポータルが見えた。

①淡緑色の鉄板で塞がれた茂山トンネルの渡島福島方ポータル 2011年5月撮影

沢に架かる掬沢橋梁は跡形なかったが、路盤を転用した道路には、速度制限標識などが残り、鉄道時代の面影を色濃く残していた。

②画面左手に通信施設?と遠くに速度制限標識 2011年5月撮影

兵舞川を渡るところでいったん路盤は途切れ、橋の痕跡もないが、その先は林道に整備され、保線作業時の列車監視台や距離標(29㎞)まで残っていた(タイトル写真参照)。

③林道整備区間 左に距離標がある 2011年5月撮影(タイトル写真も同じ)

路盤に直角に突き出たレールもあった。軌間がほぼ1067㎜だったからトロリー置場ででもあったのだろう。
この区間は林業専用道桧倉線として整備が完了し、2022年にはゲートができていた。
路盤は第2福島川橋梁の手前で再び途切れ、橋や対岸の築堤もなくなっている

平地になると、路盤は国道と少し離れたところをだいたい並行している。
茂山川にはコンクリートの基礎のようなものがあるだけだったが、コンクリート製の溝橋が残り、一部は農地への通路に使われている。

1/5万地形図「渡島福島」昭和49年編集に加筆

コンクリート造の館ノ沢川橋梁は残っているが、この附近の路盤は濃いヤブでとても歩けない。

④舘ノ沢川橋梁 2022年10月撮影

渡島福島手前の第3福島川橋梁の痕跡はまったくない

渡島福島駅跡には町役場が建ち、町役場の構内には鉄道を思わせるものはない。
白符しらふ方に松前線のものと思われる落石防止柵があるだけだった。

⑤渡島福島駅跡 右は町役場の車庫 白符方を望む 2011年5月撮影

3.渡島福島~白符

1/5万地形図「松前」昭和57年第2回編集に加筆

渡島福島を出ると、路盤はしばらく舗装道路となっている。やがて路盤は道路から分かれていくが、第1白符トンネルの手前からヤブになる。

⑥第1白符トンネル手前の切り通し 渡島福島方を望む 2011年5月撮影

トンネルに向かい切り通しになっている路盤には残土が捨てられたらしく、足元はデコボコで歩きづらい。
コンクリートで塞がれたポータルもほとんど埋まっている。

⑦第1白符トンネルの渡島福島方ポータル 2011年5月撮影

第1白符トンネルを抜けた松前線は、林道と白符川を渡っていたが、橋の痕跡はなく、北側に築堤があった。

⑧白符川橋梁の福島方の築堤 2011年5月撮影

上ってみると、案の定ひどいヤブだったが、切り通しの先に第1白符トンネルのポータルがあった。ここも路盤に対して斜めになっている。

⑨第1白符トンネルの白符方ポータル 2011年5月撮影

ここから白符川に沿って下り、やがて津軽海峡を望む海岸線へ近づき、第2白符トンネルを抜けると白符となる。

第2白符トンネルの渡島福島方ポータルは、神社の下のヤブのなかに残り、反対側は白符からすぐ見える。

⑩第2白符トンネルの渡島福島方ポータル 2011年5月撮影
⑪第2白符トンネルの白符方ポータル 2023年5月撮影

白符は1957(昭和32)年1月開業の旅客専用駅で、築堤上のホームは撤去されているが、道路脇にある元待合室を改装した物置?がある
ホームへの階段や架道橋の橋台も残っており、2023年には階段入口に「白符駅跡」と書かれた立札が立っていた。

⑫白符の元待合室 2023年5月撮影
⑫白符のホームへの階段と架道橋の橋台 2023年5月撮影

4.白符~渡島吉岡

1/5万地形図「松前」昭和57年第2回編集に加筆

白符を出るとまもなく澗内川まないがわを渡り、すぐ澗内・宮歌みやうたトンネルと続いている。
白符方の橋台は道路脇にあり、澗内トンネルのポータルも丘の中腹にかろうじて確認できたが、同じところにあるはずの橋台は見えない。

⑬澗内川橋梁の白符方橋台 2023年5月撮影
⑭画面の中央やや上にかろうじて見える、澗内トンネルの白符方ポータル 2011年5月撮影

澗内トンネルは住宅地の奥に抜けている。民家のすぐ近くだから、家の人にトンネルのありかを尋ね、入らせてもらった。トンネルまでの道は猛烈なヤブだったが、なんとかたどり着くことができた。

⑮澗内トンネルの渡島吉岡方ポータル 2023年5月撮影

澗内トンネルを出ると、築堤ですぐ宮歌トンネルに入り、途中に距離標(丙号)が残っていた。

⑯宮歌トンネルの白符方ポータル 2023年5月撮影

宮歌トンネルの渡島吉岡方のポータルは、目星をつけたところにはヤブが拡がるばかりで、路盤の痕跡もない。しかたなく道へ降りてみたが、集落をうろうろしていると不審者と思われかねないので、庭先にいた人にトンネルや鉄橋の話をきいてみた。

すでに廃止から30年以上経っているためか、はたまた廃線跡探訪への理解がない(当然だろうけれど)ためか、なかなかたいへんだった。
隣の人にも聞いてくれたが、松前線のことを話してくれたものの、「トンネルはもうないよ」といわれた。それでも、なんとか場所を聞き出して、さきほど断念した奥だとわかった。

築堤上はすごいヤブで、宮歌トンネルはその奥に残っていた。附近には継電のリレーボックスなど鉄道施設もあった。

⑰宮歌トンネルの渡島吉岡方ポータル 2023年5月撮影

松前線は、宮歌川橋梁で宮歌の浜を一気に渡っていたが、撤去されている。橋脚のあったあたりには漁船が陸揚げされてから、やはり邪魔なのだろう。

鉄橋を渡った路盤は丘を切り取っているが、そこにも橋台は見えず、ただ、樹木が低くなっているところが路盤跡だと思わせる。

⑱宮歌川橋梁跡 樹木が低い部分を通っていたらしい 2023年5月撮影

豊浜の貝取澗川かいとりまがわ橋梁も痕跡はなく、路盤は丘の中腹を西へ向かい、再び内陸部へ入っていく。

渡島吉岡は砕石工場になっていて、外から見る限り駅を思わせるものはないが、構内に入る手前にコンクリート製の溝橋がある。

⑲吉岡手前にあった溝橋 2011年5月撮影
⑳白符方から渡島吉岡駅跡を望む 2011年5月撮影

今回はここまでです。

おしまいまで読んでくださり、ありがとうございました。

次回は渡島吉岡から終点松前へ向かいます。

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