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北海道 鉄道残照~失われた鉄道の遺産あれこれ

その30 別海べつかい村営軌道のはなし


1.ごあいさつ

ご訪問ありがとうございます。

ことしからnoteをはじめ、「北海道の廃線跡探訪」なる、国鉄地方交通線廃線跡を主にした記事を投稿しています。

ここでは車輌や遺構のことなど、つれづれなるまま、書いていこうと思います。個人的主観で、なるべく有名でなさそうなものを・・・

今回は、簡易軌道当別とうべつ(当別町営軌道)や簡易軌道標茶しべちゃ(標茶町営軌道)とともに、簡易軌道(殖民軌道)としては珍しく、戦後に新設された簡易軌道風蓮ふうれん線(別海村町営軌道)です。

2.別海村営軌道(簡易軌道風蓮線)

1/2.5万地形図「奥行臼」昭和45年修正より

1924(大正13)年開通し、厚床~中標津~標津間を運行していた、最初の殖民軌道である根室線は、国鉄標津線開業により、1933(昭和8)年廃止となります。しかし、標津線と離れていた、厚床~風蓮間15㎞が殖民軌道風蓮線として残りました
その後、戦前に風蓮~上風蓮間が延長されています。別海村営軌道は、その後身にあたります。

殖民軌道根室線は延長80㎞にもおよび、輸送量も多かったため、ガソリン機関車が導入されましたが、風蓮線は馬力に戻っています

戦後、改良工事で動力化されることになり、途中から標津線奥行臼おくゆきうすに接続させ、学校前~厚床間は廃止されています。
1963年12月、新設された奥行臼~学校前間が開通旧風蓮線を改良した学校前~上風蓮間は翌年開通しています。

せっかく改良工事をした別海村営軌道でしたが、道路整備が進み、開通7年あまりの1970年度(1971年3月)で廃止となっています。なお、別海村は軌道廃止翌日の1971年4月1日町制施行され、別海町となっています。

3.別海村営軌道の特徴

別海村営軌道の特徴は、起点の奥行臼にさしたる市街がないことでしょう。日用品以外の買物などは、国鉄標津線で別海市街にある西別(別海村営軌道廃止後の1976年別海と改称)まで行く必要がありました。

奥行臼には牛乳工場もなく、貨車に積んだ牛乳用タンクをつり上げて、トラックへ載せ替え、工場のある別海まで運んでいました。これはやはり手間がかかったらしく、やがて貨車からタンク体をつり上げ、原乳をミルクタンク車へ流し込むように改良されています。これは別海村営軌道独特の設備でした。

こんなことをするより、工場へ直接運んだほうがよほど効率的だったでしょう。もうトラックが走れないような、ヒドい道路はなくなっていたでしょうから。
意地でも軌道を使ってやる、ちょっと無理をしたという気がしないでもありません。

4.奥行臼のいま

奥行臼駅前から道路(旧国道)を渡ったところが別海村営軌道の本拠地でした。
ここには、軌道事務所(停留所待合室・官舎)、機関庫、修理工場、転車台のピットが残されています。

奥行臼停留場跡に設置された別海村営軌道の解説板 2011年9月撮影(タイトル写真も同じ)

事務所と転車台は整備されていますが、機関庫と工場は放置状態なのが惜しまれます。
ブロック造の機関庫はまだしっかりしていますが、木造の工場は痛みが激しくなってきています。

軌道事務所 2020年9月撮影
事務所内部にはジオラマも展示されている 2020年9月撮影
3線の機関庫 2020年9月撮影
機関庫に隣接する工場 青い扉は倉庫転用時のもの 2020年9月撮影

5.保存車輌

車輌も自走客車(ディーゼルカー)、ディーゼル機関車、ミルクゴンドラ(無蓋車)が保存されています。

保存車輌の解説 2011年9月撮影

保存されている自走客車は1963(昭和38)年釧路製作所製です。北海道各地の簡易軌道の自走客車は、すべて北海道のメーカーで製造され、札幌の泰和たいわ車輌工業と運輸工業、それに最後発の釧路製作所がありました。

別海の自走客車は、ほかに泰和車輌工業製もあり、同じ泰和製の牽引客車の合計3輛が旅客車のすべてでした。

釧路製作所製自走客車 2020年9月撮影

保存されているディーゼル機関車は、酒井工作所とならび小型内燃機関車のトップメーカーだった、加藤製作所で1962年に製造されています。ほかに釧路製作所製もあり、機関車は合計2輛でした。

ミルクゴンドラは、集乳缶を運ぶ車輌で、各地の簡易軌道でも見られました。これも釧路製作所製です。

ディーゼル機関車とミルクゴンドラ 2020年9月撮影

6.上風蓮のいま

1/2.5万地形図「上風蓮」昭和45年修正より

終点上風蓮には機関庫が残っています
これは道東各地の簡易軌道にあったブロック造の2線機関庫で、標茶町営軌道の沼幌ぬまほろ鶴居つるい村営軌道の上幌呂かみほろろにも同型が現存しています(細部は異なる)。

上風蓮停留所の解説板 2020年9月撮影
上風蓮の機関庫 扉は変えられている 手前に転車台があった 2020年9月撮影
別海町郷土資料館にあったころの自走客車 1985年9月撮影

今回はこのへんで。

おしまいまで読んでくださり、ありがとうございました。

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