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北海道 鉄道残照~失われた鉄道の遺産あれこれ
その3 殖民軌道の倉庫:道東篇
1.はじめに
ご訪問ありがとうございます。
ことしからnoteをはじめ、「北海道の廃線跡探訪」なる、国鉄地方交通線の廃線跡を主にした記事を投稿しています。
ここでは車輌や遺構のことなど、つれづれなるまま書いていこうと思います。
同世代のかたや先輩諸氏にとっては、ご存じのことが多いでしょうが。
今回は超マイナーな話題の2回目、殖民軌道の倉庫:道東篇です。
2.中久著呂の殖民軌道の倉庫
今井啓輔著「北海道の殖民軌道ー聞き書き集-」から、殖民軌道の密集地?だった道東にも、倉庫が残っていることがわかりました。
中久著呂市街に、なにやら曰くありげな建物がありました。
中久著呂が、久著呂線(釧網本線塘路~上久著呂)の中間停留場だったことは知っていたので、ひょっとしたらと、写真だけは撮っておきました。
ただ、軌道のあった道路とは直角に建っているので、殖民軌道とは無関係にもみえます。
それが今井さんの本に、軌道廃止後に向きを変えたとの、地元のかたの証言が載っていました。
こうしたことは、実際に現地調査をしないとわからないので、たいへんありがたい。
倉庫は全面トタン張りとなっていましたが、出入口の位置(片側2カ所、片側1カ所)は、元のままのようです。
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3.穏禰平の倉庫
穏禰平は雄別炭礦鉄道の駅で、のちに山花と改称されています。ここから仁々志別まで、殖民軌道仁々志別線が出ていました。
穏禰平の倉庫は、駅跡から少し釧路寄りにありました。
この倉庫は道路側だけ見ると、殖民軌道の倉庫だとは、ちょっと気づきません。しかし、裏側と反対側の妻面上部には面影がありました。
窓桟や出入口の位置は元のままのようです。
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2022年9月撮影
4.中西別の倉庫
中西別は、標津線(中標津~厚床)西別(のちの別海)から、標津線(標茶~根室標津)西春別までの、西別線の途中停留場です。
このあたりは、殖民軌道があちらこちらに敷かれ、路線の改廃も複雑です。
中西別の倉庫は、赤く塗られていましたが、妻面の窓桟や出入口の位置は、元のままのようです。
色は別として、もっとも原型に近いのかもしれません。
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5.上春別の倉庫
中西別に近い、上春別にも倉庫が残っています。
上春別は、春別線(標津線春別~殖民軌道西別線春日)の途中停留場です。
ここの倉庫も、大きく改変されていますが、特徴ある妻面の窓は残っています。
裏へまわると、出入口はふさがれ、ひさしだけになっていました。
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6.おわりに
これらの倉庫は、本来は羽目板だったところが、すべてトタン板で覆われています。
しかし、特徴ある、妻面上部に並んだ窓など、充分、昔の面影を残しています。
殖民軌道の数少ない遺構として、末永く残ってくれることを祈っています。
今回もおしまいまでお読みくださり、ありがとうございました。
次回は、ちょっと趣向を変え、国鉄キハ12形です。
ご意見・ご感想、そしてご要望など、どうぞお寄せください。