北海道の廃線跡探訪 第71回 標津線(4/9)上武佐~川北フットパス間
1.ごあいさつ
ご訪問ありがとうございます。
北海道の廃線跡探訪第71回 標津線その4 上武佐~川北フットパス間です。
上武佐から川北の間は、作業道となっているところもあり、一部に橋が残っています。
川北駅跡にはキハ22が保存され、川北からはフットパスとして整備された区間となります。
なお、これからの投稿予定路線などは、初回記事にありますので、そちらをご覧ください。
2.上武左~川北
上武佐駅跡は草の生い茂る空き地になっている。
旧駅前広場には映画「遙かなる山の呼び声」のロケ地であることを示す案内板や、標茶や中標津と同じスタイルの駅跡を示す、天然木の記念碑が建っていた。
かつて駅前旅館だった建物は、廃業後はいささか荒れた状態だったが、きれいに改修され、「北村家住宅(旧土田旅館)」として国指定登録文化財に指定されている。
上武佐からも路盤は相変わらず森に没している状態が続くが、作業道として使われているところもある。
イロンネベツ川へは、川へ向かう小径からヤブとなった路盤を歩いて行った。
ところが橋の手前で、築堤は大きく崩れ、橋台が露出している。橋台は傾きながらも辛うじて残っているが、ガーダー3連のうちの1基が河中に墜落している。それほど流量は多くなかったが、大雨のときは暴れ川となるのだろう。
2019年6月には川岸は改修され、橋はすっかり撤去されていた。
築堤も撤去工事の通路のため分断されていた。
南五線の附近ではクルマでも通行できる作業道となっている。
ウラップ一号川にかかる橋は、道路橋から見えるのではとも思ったが、樹林に邪魔され、川も曲がっているので見えない。
路盤へ向かう道は私有地なのか立入禁止になっていたので、道路から川伝いに近づいてみた。河岸は低い草と樹木が生え、倒木を避けながら進むと、築堤にコンクリート製の橋が見えた。
南三線川にはIビームの小さい鉄橋が残っていたが、その先のウラップ川橋梁は撤去されている。
3.川北
南一線から川北市街へ入ると、路盤は道路化され、川北構内となる。
川北は市街地の一角にあり、駅跡には川北ふれあいセンターが建っている。
元の駅構内にはキハ22 168が保存されている。
新たに造られた木製のホーム(デッキ?)には、木製の駅名標も設置され、標津線の解説板が設けられている。
そこに「レールバスの展示などを行い」とあったので、キハ03形でもあるのか!と驚いたが、よく読むと「レールバスといわれる気動車(キハ03型・キハ05型等)」ともあり、どうやら目の前のキハ22のことらしい。
戦前の国鉄制式気動車キハ36900形(→キハ41000形)の後身キハ05形や、戦後の酷寒地用の気動車キハ22形は「レールバス」ではないのだが。
もっとも、一般の人にとってはどちらでもよいことだろうけれど。
キハの外観はテールライトのガラスが失われ、塗装にも痛みが目立っていたが、2019年6月にはきれいに塗り直されていた。
内部は、クロスシートはすべて撤去、床はフローリングに変えられているが、ロングシートだけは残されているのがおもしろい。
雨漏りで内装が痛んでいるところもあるが、大切に使われているように見受けられた。
正面から見ると、台車の前のスノープロウが接地しそうで、車体が低く感じられる。地面に直接置かれているのかと思ったが、これはレールを地面と同一面にしているからで、なぜわざわざ面倒なことをしたのか不思議。
4.川北フットパス その1
川北市街を抜けると、2017(平成29)年に整備された「川北フットパス」区間となる。
標津線はここで東北東に曲り、根室標津の手前まで一直線となる。
住宅地の一角にあるフットパスの入口には立派な案内板があり、ていねいに草刈りがなされていた。
ところが路盤は短い草が生い茂った一段上のところらしい。
それもシュラ川支流の手前までで、河川改修がなされた川には、標津線の橋があったあたりに建築現場用足場板が架かっていた。
足場板を渡った先は荒れ地になり、どこが路盤=フットパスかもわからない。一段上がったところはパークゴルフ場になっており、路盤は右にカーブしているはずなので、その方向を辿ってみたが、濃いヤブだった。
なんとか入口の案内板や解説パンフレットにも載っているシュラ川橋梁までもと思ったが、とても歩ける状態ではない。
「なにがフットパスぢゃ」と悪態をつきながら、反対側から目指すことにした。
今回はここまでです。
おしまいまで読んでくださり、ありがとうございました。
次回は川北フットパスから根室標津へ向かいます。