北海道の廃線跡探訪 第15回 富内線(4/4)振内~日高町間
1.ごあいさつ
ご訪問ありがとうございます。
北海道の廃線跡探訪 第15回 富内線の第4回です。
なお、これからの投稿予定路線などは、初回記事にありますので、そちらをご覧ください。
2.振内
振内には鉄道記念館が建てられており、構内には敗戦後輸出されたサハリン帰りのD51-23とスハ45 37・スハフ42 519が保存されている。
客車は本来は戦後製の急行用客車だから、富内駅の客車同様、富内線で使われたことはないと思われる。
塗装は現役当時に似た青色に塗られているが、形式番号などの標記はなく、屋根上のベンチレーターには大きなカバーがつけられている。
車内はライダーハウス(有料・夏季のみの営業)として、一部の座席を除いてカーペット敷きにされ、シャワー設備もある。
線路、腕木式信号機、木製電柱も残されている駅構内は、なかなかよい雰囲気で、ホーム上には振内をはじめ、幌毛志・仁世宇・岩知志の駅名標が保存されている。
以前は錆も目立っていた文字はきれいに書き直され、岩知志の駅名標は左隣の仁世宇と合わせるため、下部の次駅表示が逆にされている。
煙室扉のクリートやバカでかい前照灯など、正面は異様な風体のD51も意外なほど違和感がないように思える。
近くのグランドにはワム80000も物置として置かれている。
鉄道記念館は施錠されているが、平日9時から4時まで平取町役場振内支所に連絡すると見学可能とあった。
3.振内~岩知志
振内~日高町間はいかにも戦後建設らしく、直線的に建設され、トンネルや橋梁が多い。
トンネルも大きな橋梁もない旧北海道鉱業鉄道区間とは対照的で、建設資金の差や土木技術の進歩が如実に現れている。
途中駅はすべて旅客専用停車場となり、鉄骨を組んだ土台のコンクリート製のホームで、駅舎も岩知志にしかなかった。
振内市街では舗装道路となっているが、やがて築堤の未舗装道に変わり、一部が既存道路にあわせるため崩されている。
市街を抜けると、第1沙流川橋梁へ向かう。橋やその先の国道とのオーバークロスの痕跡はないが、国道から先の築堤はきれいに残り、池売トンネルに続いている。
トンネルは水路に転用されていたが、水路としての勾配の関係からか、振内方のポータルは改修され、四角い形になっていた。
仁世宇も痕跡はなく、仁世宇から第2沙流川橋梁までは路盤が残るが、橋は跡形なし。
第2沙流川橋梁からは河岸段丘と沙流川に挟まれたところを縫うように建設されたので、切り通し・築堤・陸橋・トンネルが連続している。
岩知志陸橋を渡ると、すぐに第1岩知志トンネルがあるが、ここもふさがれている。
第2岩知志トンネルも金網でふさがれている。第1と第2の間の路盤は、バラストも残る、比較的歩きやすい状態だった。
4.岩知志~日高町
岩知志も少し路盤が広くなっている程度で何もなく、附近の路盤は農道になっていたり、ヤブになっていたりで、それまでと変わらない。
岩知志を過ぎるといよいよ谷も狭くなる。連続する第3・第4沙流川橋梁はともに撤去されている。
富内線は第3と第4の間で国道とクロスし、山側に移る。
国道の景勝橋から第4橋梁の橋脚基礎の円形コンクリートが見える。
岩内トンネルは使われなくなった農機具置き場として利用され、前後の路盤も歩きやすい。
日高岩内も跡形なく、国道からの取付道路は廃道状態だが、前後の路盤は牧草地への作業道となり、コンクリート橋もそのまま使われていた。
どちらも「1961-9」「1961-10」などの刻印があざやかに残っていた。
日高岩内を出ると、第1日振トンネルに次ぐ長さ(1,000m)の三岩トンネルがある。
トンネルの手前で林道とルベシュベナイ川を一気に渡るが、両側に高い橋台、河中に橋脚の土台らしき円形のコンクリートが残っている。
トンネルの直前には74.5kmの立派なコンクリート製距離標が立っていた。
三岩トンネルの日高三岡方はなにかに利用されているらしく、シャッターがついている。
並行する国道からは林のなかの路盤はよく見えないが、途中にコンクリート橋があった。近づいてみると、「けたに注意」の標識があり、架道橋だったらしいが、もはや廃道となり、反対側は埋められている。
国道の轟橋の西側には橋台があった。鉄道にしては幅が広いうえ南側にはアスファルトの路面が残っていたので道路橋の跡とわかったが、さらに奥にあるはずの富内線の橋の痕跡は見あたらなかった。
その先の三岡トンネルは両側ともコンクリートで完全にふさがれている。
日高三岡は樹林のなかで、国道からの取付道路がわかる程度になっている。
日高町方にある沙流川支流(道路橋銘板による)には、両側にコンクリートの橋台が残っていた。
附近の路盤はヤブになって残っているが、崩されているところもある。
国道のすぐ横にある、ポータルの形が面白い覆道は入口がふさがれている。
覆道の先で銀沢林道とクロスする路盤はそれほどヤブが濃くなかったので、銀沢まで歩いてみた。
銀沢には日高三岡方の橋台があったが、対岸の日高町方橋台は見えなかった。
日高町手前のパンケウシャップ川には橋の痕跡はなく、日高町にも農業施設などが建ち、住宅地の一隅に天然石を使った記念碑があるだけになっている。
記念碑は自然石をつかった、表に「国鉄富内線の跡」(なぜか「国鉄日高町駅の跡」ではない)、裏に日高町駅の開業日と全線廃止日(最終運行日)が刻まれているだけで、いささか素っ気ない。
道の駅「樹海ロード日高」もある日高町市街は、道東自動車道の開通により以前のような賑わいこそないものの、富良野へ向かう国道237号と日勝峠を経て帯広方面へ向かう国道274号が交叉する道路交通の要衝には違いない。かつての富内線の存在など完全に忘れられているかのようである。
今回はここまでです。
おしまいまで読んでくださり、ありがとうございました。
次回は広尾線です。