見出し画像

北海道の廃線跡探訪 第97回 万字線(2/3)上志文~美流渡間


1.ごあいさつ

ご訪問ありがとうございます。

北海道の廃線跡探訪 第97回 万字まんじその2 上志文かみしぶん美流渡みるとです。

この区間もあいかわらず路盤は消失しているところが多いですが、朝日駅跡は万字線鉄道公園となり、駅舎や保存車輌があります

なお、これからの投稿予定路線などは、初回記事にありますので、そちらをご覧ください。

2.上志文~朝日

1/5万地形図「夕張」昭和53年第2回編集に加筆

上志文を出ると、すぐ道道30号とクロスする。
上志文方はスキー場への道に同化しているように見え、朝日方もまったく跡形はない。

①スキー場看板のあたりが路盤跡 上志文方を望む 2012年12月撮影

ここから先の路盤も、一部が農道になっているほかはほとんど消えている。

②農道となっている区間 上志文方を望む 2020年4月撮影
②同地点から朝日方を望む 少し路盤が残る 2020年4月撮影

しかし新旧の空中写真を比べると、宮村地区の北方、万字線が東北東から南東に向きを変えたあたりだけは農地化されておらず、ここには2カ所小さい橋があったはずなので、探ってみた。

路盤は不明瞭だが林のなかのヤブに突入、やがて一段低くなった水面の向こうに枯れ木に覆われた橋台らしきものが見えた。おそらく瑞穂沢橋梁の橋台だろう。

③瑞穂沢橋梁の橋台 2020年4月撮影

もうひとつの手前の橋は、用水路が単なる直線状の溝になっていたのであきらめていたが、ヤブのなかに上志文方の低い橋台がかろうじて見えた

④瑞穂沢橋梁の手前の用水路の橋台 2020年4月撮影

第2幌向川橋梁は、道道38号の新しい第2朝日橋附近と思われ、痕跡はない
道道の第1朝日橋と並んで幌向川を渡っていた第3幌向川橋梁も跡形なく、再び路盤が現れるのは、朝日市街の手前の林のなかになる。

建設当時の第2幌向川橋梁 工事列車の先頭は7010形、中間は7100形(義経・弁慶の一族)
1914(大正3)年鉄道院北海道建設事務所発行『万字線建設概要』より(第3幌向川橋梁も同じ)
⑤道道の第1朝日橋より第3幌向川橋梁のあったあたりを望む 2012年12月撮影
建設当時の第3幌向川橋梁 

朝日市街もところどころ家が建つなどしているが、道道に沿った家並みの後方の空き地がそれらしく思える。

3.朝日

市街の東端にあった朝日は、1919(大正8)年11月開業、ここにも朝日炭鉱があり、石炭積み出しが盛んだった。

⑥営業当時の朝日駅 すでに画面左にあった炭鉱関連の施設はない 1980年6月撮影

駅舎の向側の斜面には、選炭場の土台だったのか、コンクリートの構造物があり、上志文方にある市街にも、元の炭住(炭鉱住宅)が軒を並べる独特の景観が見られる。

⑥駅跡の北側に残る炭鉱施設の土台 2020年4月撮影

旧駅構内は万字線鉄道公園として整備駅舎やホームと線路が残され、B201号機と9600形の動輪や車止めも保存されている

⑥岩見沢市が設置した記念碑 2014年10月撮影
⑥車止め 9600形の第3動輪 距離標 2014年10月撮影

駅舎には、2020年ころ正面の駅名板が復元されたが、内部には資料などの展示はなく、ガランとしている。

⑥元朝日駅舎 2023年11月撮影(タイトル写真は2018年8月撮影)

一部が撤去され分断された長いホームは、きれいに草が刈られているが、美流渡方はヤブに没している。

⑥分断されたホーム  美流渡方を望む 2023年11月撮影
⑥駅舎と上志文方のホーム 2020年4月撮影

2012(平成24)年に訪れたときにはそのままだった駅名標は塗り替えられ、なんともいえない字体になっている。
せっかくきれいにしても、元の形と似ても似つかないようになってしまったら意味がない。

⑥駅名標 たしかに錆びだらけだったが・・・ 2014年7月撮影
⑥書き換えられてしまった駅名標 きれいにはなったが・・・ 2014年10月撮影

保存されているB20 1は小樽築港機関区所属、無火となった蒸気機関車の移動などに使われ、機関区のマスコット的存在だった。鹿児島機関区のB20 10と並び、当時の鉄道ファンにはよく知られた有名機である。

角張ったキャブ(運転室)やボイラー上の蒸気溜と砂箱が一体となった角形ドームに戦時形の特徴が見られ、現役時代からの鐘に鳥(鳩?)のマークも残っている。

⑥B201号機 2024年10月撮影
角形のドームにある鐘とその左上(錆で見づらい)の鳥 2012年7月撮影

ボイラーが一時代前の飽和式かつ小型であるB20は、本来の専用線用としてはほとんど役に立たなかったといわれる。そのため早々と廃車され、もともと15輛という少数のうち、2輛だけが生き残っていた。

京都鉄道博物館にある10号機が今では動態となっているのに対し、この1号機はまったく縁のない万字線沿線に移され、現役当時唯一枚だった正面ナンバープレートが模造品に替わっている(側面にもある)のが残念に思える。

現役当時と変わらない姿だった岩見沢市東山公園のB201号機 1979年9月撮影

廃車されたときは、誰もが保存場所は長年活躍した小樽がふさわしいと思っただろうが、岩見沢市、しかも東山公園というあまり目立たないところに保存された

万字線沿線には保存車輌がないから、東山公園よりはよいと思っての移設だろうが、いつかは小樽に戻してやりたいと思うのは筆者だけではないと思う。保存状態が悪くないのが、せめてもの慰めだが。

朝日市街にある、朝日コミュニティ交流センターには、万字線の資料を展示した旧国鉄万字線鉄道資料展示室ができている。
これは、旧栗沢町だった美流渡駅跡の美流渡交通センター2階にあった万字線資料室、元から岩見沢市だった奈良町にあった万字線鉄道資料館と統合したもので、万字線の写真や鉄道資料がきれいに展示されている。

⑦朝日コミュニティ交流センターにある旧国鉄万字線鉄道資料展示室 2023年11月撮影
⑦同 各種資料がていねいに展示されている 2023年11月撮影

4.朝日~美流渡

1/5万地形図「夕張」昭和53年第2回編集に加筆

朝日から、山と川に挟まれたところを万字線とともに通っていた道道は、幌向川を2回渡る新道に切り替えられた。

旧道には旧駅構内の先でゲートができ、新道からは路盤と旧道に沿った丘の斜面に落石防止柵が見える。

⑧道道旧道のゲート越しに美流渡方を望む 道路左の一段高いところが路盤 2020年4月撮影
⑨幌向川対岸から旧道との並行区間を望む 落石避けが連続している 2020年4月撮影

道道と並行するようになると第4幌向川橋梁を渡り、再び旧栗沢町に入るが、ここにも痕跡はない

⑩道道の橋から第4幌向川橋梁のあったあたりを望む 2012年11月撮影

美流渡二の沢川には下二ノ沢橋梁の橋台が両側とも残っているが、つぎの美流渡一の沢川にはなにもない。

⑪下二ノ沢橋梁の橋台 2020年4月撮影

路盤は丘を上り下りしている道道と離れ、ほとんどがヤブに覆われているが、一部は作業道として使われ、農道の踏切跡には古枕木を利用した柵が残っていた

⑫踏切跡から美流渡方を望む 2014年10月撮影
⑫同 朝日方を望む 2014年10月撮影

路盤は道道と同じレベルまでになったあたりで新しい道路に吸収されているようにみえるが、新旧空中写真を比べると、市街入口附近などのようすから、路盤がすべて転用されているのではないとも思える。

今回はここまでです。

おしまいまで読んでくださり、ありがとうございました。

次回は、美流渡から終点万字炭山へ向かいます。

いいなと思ったら応援しよう!