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北海道の廃線跡探訪 第35回 名寄本線(4/7)興部~渚滑間


1.ごあいさつ

ご訪問ありがとうございます。

北海道の廃線跡探訪第35回 名寄本線名寄~遠軽えんがるその4 興部《おこっぺ》~渚滑しょこつです。

名寄本線は、興部から中湧別なかゆうべつまで、山中から一変して、オホーツク海に沿っていきます
ほぼ国道238号に並行しているので、それほど探索困難なところはありません。
この区間には、駅舎は残っていませんが、渚滑駅跡には9600形が保存されています。

なお、これからの投稿予定路線などは、初回記事にありますので、そちらをご覧ください。

2.興部~豊野とよの

1/5万地形図「興部」昭和60年第2回編集に加筆

名寄本線は興浜南線と並んで興部を出ていた
興浜南線の路盤はサイクリングロードとなっているが、名寄本線の路盤は放置されている。

①興部跨線橋から興部方を望む 名寄本線は中央から左端のヤブ、右端の自転車道は興浜南線
2013年9月撮影

興部跨線橋の手前で次第に右へ曲がり、跨線橋の一番右側の区画を通り、その先で少しの間ヤブは薄くなっていたが、やがてうっそうと茂ってくる。

旭ヶ丘は1956(昭和31)年9月秋里あきさと仮乗降場として開業したときは、少し遠軽方にあった。
1959年11月旭丘あさひおかと改称し興部高校の裏手に移転、さらに旭ヶ丘と改称後、JR発足時に駅となっている
高校横の取付道路だったらしい道から路盤を目指したが、駅跡は濃いヤブに覆われていた

②旭ヶ丘駅の取付道路だった道 2013年9月撮影

ここからも路盤はヤブだが、国道238号と並ぶようになった先の藻興部川には下路ガーダー橋が残っている
国道からもよく観察でき、距離標(丙号)が立っている海側のガーダーが継ぎ足され、少し高くなっているのもよくわかる。

③藻興部川橋梁 2013年9月撮影

この先の秋里川には小さなガーダー橋があるが、豊野の手前の瑠橡るろち川には痕跡はなかった

④秋里川に残るガーダー橋 2023年10月撮影

3.豊野~富丘

1/5万地形図「興部」昭和48年修正「紋別」昭和55年修正に加筆

1947年2月設置の仮乗降場で、3年後の1月に駅となった豊野は、取付道路があるだけで前後の路盤も消失、正確な位置すら特定できない。

⑤豊野駅跡から興部方を望む 2013年9月撮影

豊野の少し先からはヤブになっているが、国道とは離れる。

沙留さるる手前のケミチカノナイ川にも小ガーダー橋があり、その前後の築堤もきれいに残っているが、沙留市街の路盤はほとんどが宅地や道路になって消えている。

⑥ケミチカノナイ川に残る鉄橋 2013年9月撮影

沙留はしおさい公園や新沙留団地となり、駅前通りに名残があるだけ

⑦駅跡のしおさい公園から富丘方を望む 2013年9月撮影

沙留を出ると国道を跨いでいたが、築堤だけになっており、沙留川にも築堤以外の痕跡はない

やがて路盤は国道に沿い次第に高さを増していく。

旭ヶ丘駅と同時に設置・昇格した富丘は築堤上にある
手前にはまだまだ新しさも残るような立派な跨道橋が架かり、その道路から覆いのある階段が延びている。覆い自体はさびているものの、まだしっかりしており、階段のコンクリートもさほど劣化していないが、駅跡にはなにも残っていなかった

⑧山側から旧名寄本線の架道橋を望む 右は富丘駅への階段 2013年9月撮影
⑨富丘駅跡 渚滑方を望む 2013年9月撮影

4.富丘~渚滑

1/5万地形図「紋別」昭和55年修正に加筆

次第に低くなった築堤は国道と同じレベルになってくる。

オムシャリ沼の海への出口に架かる、ガーダー4連の円野川橋梁は、レールこそないが枕木も残り、国道からもよく観察できる

この先で路盤は再び築堤となり、紋別市へ入る

⑩円野川橋梁 2015年9月撮影

路盤は、一部がオムサロ遺跡公園の取付道路となっているほかは、ヤブに覆われている。

川向川には橋台が残るが、渚滑川には築堤があるだけで橋の跡はない

⑪川向川の渚滑方橋台 2020年10月撮影

渚滑川を渡ると築堤は次第に低くなっていき、レンガ造の小アーチ橋がある

⑫渚滑コタン川のレンガアーチ橋 2020年10月撮影

このアーチ橋は、渚滑川の旧河道だったらしい渚滑コタン川に架かっているが、すぐ横に大きなコンクリート造の橋脚が1基ある

このあたりはかつて大きな池(湿地帯?)だったらしく、国土地理院の昭和20年代撮影の空中写真には、旧線らしき築堤と6本ほどの橋脚が写っている
『名寄線建設概要』(1921=大正10年鉄道省発行)には、渚滑川橋梁に続き第一渚滑古川橋梁があり、12フィートの木桁8連、橋台・橋脚は木造とある。これでは違うようだが、橋台・橋脚欄の「木造」が見え消しされているので、開通当初からコンクリート造だったのではなかろうか。
いずれにしろ従来の橋を築堤に変えたのだろう。小アーチ橋はレンガ造だから、近年の改築ではなさそうである。

⑫旧線の渚滑コタン川の橋脚? 2020年10月撮影

築堤はやがて平地となり、国道273号まで貯木場の作業道として使われている
跨線橋が平面化された国道を過ぎ、貯木場の横を通ると渚滑古川を渡るが、ここにも跡はない
その先から渚滑市街地に入り、旧国道までは小道になっており、小さなコンクリート造の溝橋が残っていた
旧国道の踏切跡はなく、渚滑線と並んで渚滑へと入っていく。

5.渚滑

渚滑は廃止後も残っていた立派な駅舎も取り壊され、広大な旧構内の中央部には高速バス(札幌~紋別)の待合所をはじめ、各種公共施設が建っており、両側はパークゴルフ場となっている

⑬名寄本線廃止後も残っていた渚滑駅舎 1995年9月撮影
⑬旧渚滑駅構内西側から潮見町方を望む 正面がバス待合所もある公共施設
2016年9月撮影

紋別方にあるパークゴルフ場の休憩所には「渚滑駅」と掲げられている。

⑬パークゴルフ場の休憩所 2020年10月撮影

富丘方のパークゴルフ場には、ブロック造の細長い機関庫(修繕工場?)が屋内パークゴルフ場として使われ、大きな鉄製扉も再利用されている。

⑬旧機関庫(修繕庫?) 2016年9月撮影

転車台や扇形庫はなくなっているものの、ほかにも鉄道関係のものと思われる建物が散在、解体危機を脱し紋別市運動公園から移された、9600形69644も保存されている
近年きれいに塗り直され、煙室戸や前端梁、それにデフレクターの前端に警戒塗装(トラ塗り)がされていた。

⑬きれいに塗装されたが、トラ塗りは・・・ 2020年10月撮影(タイトル写真は2016年9月撮影)

今回はここまでです。

おしまいまで読んでくださり、ありがとうございました。

次回は渚滑から小向こむかい向かいます。

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