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北海道の廃線跡探訪 第99回 渚滑線(1/3)渚滑~上渚滑間


1.ごあいさつ

ご訪問ありがとうございます。

北海道の廃線跡探訪 第99回 渚滑しょこつその1 渚滑~上渚滑間です。

渚滑線は農地化で路盤が消失したところが多く、駅舎は下渚滑、濁川にごりかわ北見滝ノ上きたみたきのうえに残っています
滝上郷土館に9600形とラッセル車が保存されています

なお、これからの投稿予定路線などは、初回記事にありますので、そちらをご覧ください。

2.渚滑線小史

渚滑線は1923(大正12)年11月5日渚滑~北見滝ノ上間34.3㎞が開業、後には濁川から森林鉄道が敷設され、渚滑線も木材輸送に大活躍する。

戦後になると林道整備により森林鉄道が廃止となり、加えて沿線の過疎化や道路整備が進むにつれて、渚滑線の輸送量も低下していく。

ついに国鉄再建法による第一次特定地方交通線に指定、1985(昭和60)年4月1日、万字線・相生線とともに廃止された

3.渚滑~下渚滑

1/5万地形図「紋別」昭和55年修正に加筆

渚滑線の起点、名寄本線渚滑はパークゴルフ場などになり、駅舎こそないが、元の鉄道施設も散在している

①パークゴルフ場などになった渚滑駅跡 元西方を望む 
詰所や機関庫(客車庫? 画面中央のシラカバの向こう)もある 2024年9月撮影

起点の名寄本線渚滑については、下記もご覧ください。

渚滑線は渚滑を出ると左へカーブし、右へ大きくカーブする名寄本線と離れていく。
路盤は住宅裏の空き地となり、一部には建物が建っている。

②名寄本線と離れた直後の踏切跡から元西方を望む 2016年9月撮影

やがて造成現場となり路盤は消失、渚滑小中学校の敷地に入っていく。

③路盤が拡げられている 元西方を望む 2016年9月撮影

校門から入ってすぐのところには線路が復元されている
線路には軌道自転車が置かれているほか、渚滑の駅名標や踏切警報機、転轍テコや腕木信号機も保存されている。

④復元された線路 2016年9月撮影(タイトル写真も同じ)
④同 2016年9月撮影
④元西方にある腕木式信号機 2016年9月撮影

解説板には「校庭を横断」とあるが、運動場を横切っているわけではなく、校門から校舎へ向かう通路を横断している。

道路のすぐそばにある門を踏切の内側(校舎側)にすればよいだけなのに、そうしなかったのは、渚滑線建設前から小学校があったからだろうか。

渚滑方には痕跡がまったくないので、実際に路盤があった位置なのか疑問だったが、復元線路を元西方に行くと、小さな橋台があった

④学校への通路から渚滑方を望む 2016年9月撮影
④元西方に残る橋台 2016年9月撮影

ここから元西までの路盤は農地化で消えたところが多い。ただ、営業当時の空中写真には、いくつか小鉄橋があるが、ヤブがヒドくて確認できなかった。

1956年5月設置の元西仮乗降場は農場となっているので立ち入れないが、航空写真からは、路盤に並行したヤブが残るだけで、なにもなさそうに見える

唯一の名残は、国道からの取付道路入口にある8線バス停に立てられている運転用の駅名表示標くらいだった

⑤元西の取付道路入口にある運転用駅名表示標 2016年9月撮影

元西から下渚滑までも路盤は消失、農地の区切りに名残があるくらいになっている。
この区間にも用水路に小さい鉄橋があったはずだし、下渚滑川橋梁が下渚滑手前にあるが、ここもヤブのため断念。

下渚滑は運送会社と採石場の砂利プラントになっており、国道からは晩年の駅舎らしい建物が見えた。しかし、裏手の採石場からダンプカーが始終通り、入れる雰囲気ではなかった。

後に工場は廃業(2023年にはホタテの貝殻堆積場になっていた)していたので、元の駅前通りから観察してみた。

⑥下渚滑駅舎? 2016年9月撮影
⑥窓からのぞいた内部 駅舎の面影はない 2020年10月撮影
⑥ホタテ貝殻の堆積場となり、まわりがきれいになった 2023年10月撮影

建物は正面側だった吹き抜け部分が壁になっているが、道内各地のローカル線にあった駅舎らしい
同系駅舎だった中渚滑か滝ノ下から持ってきたのではないとすると、向きが正反対になり、位置もずれている
ほかには駅を示すものはなにもなく、十六号線方の路盤も消えていた

4.下渚滑~上渚滑

1/5万地形図「紋別」昭和55年修正「上渚滑」昭和50年編集に加筆

下渚滑からも路盤は農地化されているが、用水路などに橋台が残っている

⑦下渚滑十二線川に残る十六号線仮乗降場方の橋台 2015年9月撮影
⑦同地点から下渚滑方を望む 2015年9月撮影

1955年12月上東じょうとう奥東おくとう雄鎮内ゆうちんないと同時に設置された、十六号線仮乗降場も路盤ともども消失、場所さえ定かでない。

⑧十六号線仮乗降場跡を望む 路盤もない 2015年9月撮影

2015(平成27)年9月には元西と同様、国道から十六線道路へ入るところに駅名表示標が立てられていたが、今はなくなっている

⑨国道から十六号線仮乗降場への入口にあった運転用駅名表示標 2015年9月撮影

ここからも路盤は農地となっているが、わずかに中渚滑豊盛川に橋台がある

⑩中渚滑豊盛川に残る橋台 2015年9月撮影

中渚滑は元の駅前通りが民家の通路になっており、ここもちょっと入れる雰囲気ではなかった。

⑪元の中渚滑駅前通り 2015年9月撮影

国道から見ると民家の先は、路盤もろとも農地化されているように見え、航空写真からも駅の痕跡はまったくないことがわかる
2024年には民家もなくなり、駅前通りの跡だけになっていた

⑪中渚滑駅前通り跡から駅跡を望む 一面牧草地 2024年9月撮影
1/5万地形図「上渚滑」昭和55年編集に加筆

渚滑線は上東へ向け次第に国道へ近づき、中渚滑二十四線川を渡るが、痕跡はない。
中渚滑二十五線川などにはコンクリートの橋台があったが、上東仮乗降場は跡形なく消えていた

⑫中渚滑二十五線川に残る琴野川橋梁の上東方の橋台 2015年9月撮影
⑬国道横に見える橋台 2022年5月撮影
⑭上渚滑方から上東仮乗降場跡を望む 2015年9月撮影

上東からは再び国道から離れ、農地のなかを上渚滑へ向かっていた。
路盤の痕跡がないのは変わらないが、鴻輝川には霧立川橋梁の橋台が残っている

⑮鴻輝川に残る霧立川橋梁の橋台 2016年9月撮影

渚滑線は三十一線附近から道路のすぐ横を並行しているが、今の航空写真と渚滑線があったころの空中写真を比べると、この道路は路盤転用ではなく、路盤は農地化されているようにみえる。

上渚滑市街の手前で渡る清瀬川橋梁の跡はなく、製材工場となり上渚滑の構内へと入る。

今回はここまでです。

おしまいまで読んでくださり、ありがとうございました。

次回は、上渚滑から濁川へ向かいます。

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