北海道の廃線跡探訪 第28回 羽幌線(4/7)苫前~天塩有明間
1.ごあいさつ
ご訪問ありがとうございます。
北海道の廃線跡探訪第28回 羽幌線留萠~幌延間その4 苫前~天塩有明間です。
なお、これからの投稿予定路線などは、初回記事にありますので、そちらをご覧ください。
2.苫前~羽幌
苫前は苫前市街の東端にあり、旧構内は縄文時代などの復元住居がある公園「古代の里」となっている。
興津方には町営住宅が建ち、それが尽きるところから路盤が姿を現す。
興津までの路盤は、一部が農地や未舗装道になっているが、だいたい残っている。
オシルスナイ川とヤオシルスナイ川には橋の痕跡はなく、国道沿いに1956(昭和31)年9月設置された興津仮乗降場の跡もない。
羽幌線は羽幌市街地南東端に沿い、丘を切り通しで抜けていたが、今ではスポーツ公園のあたりは埋められ、道路とのアンダークロスもなくなっている。
その先は細い道となっているが、駅の手前で宅地化されている。
市街の東南端にあった羽幌駅跡はバスターミナルと公園となり、山側にタイル貼りの大きなモニュメントが造られている。
モニュメントは抽象的なもので、解説板によると、羽幌線もイメージの一部になっているらしい。
公園のところどころにある、自然石を加工した小さな歌碑にも、羽幌線を詠ったものがある。
裏手には大きな製材所や農業倉庫もあるが、沿岸バスの本社ターミナルもある市街中心部の賑わいからは、取り残された感じがする。
3.羽幌~築別
羽幌駅構内を出ると道道747号とクロス、築別方には新しい倉庫が建っている。
その裏手には築堤跡が少し残り、今では新河道へのつけ替えにより福寿川となった、羽幌川橋梁の橋台が剥き出しになっている。
ちょうど来合わせた人の話では、夏でもきれいにイタドリを刈り、橋台が見えるようにしてあるとのことだった。
改修された福寿川に橋脚はなく、築別方の橋台もない。
住宅地を抜けると、羽幌線廃止後掘削された羽幌川まで、短い間、路盤が現れる。
羽幌川の対岸の丘の斜面には、路盤の切り取りと擁壁がはっきり見える。
国道232号に近づいたところにあった架道橋は跡形もなく、羽幌線はここから築別手前までしばらく国道と並行する。
道路は上り下りがあるが、鉄道はそういうわけにはいかないから、切り通しや築堤で抜けており、ニカリウシナイ川には小さなコンクリートアーチの橋もある。
築別は国道から少し入った集落のなかにあった。
集落のなかの道をたどると、ごく短いのに舗装された道がある。これが今は民家の入口に過ぎなくなった、かつての駅前通。
駅跡は広大な空き地となり、かつて羽幌線の終点であり、羽幌炭礦鉄道が分岐していた大きな駅だったとは、とても想像できない。
とはいえ、もともと築別駅は羽幌炭礦鉄道のためにつくられたようなものだから、炭鉱閉山後、鉄道建設前に戻ったともいえなくもない。
天塩有明方には貨物ホームが残り、夏はヤブに覆われているが、イタドリなどが枯れる早春や晩秋には姿を現す。
貨物ホームとはいえ、羽幌線跡に残る唯一のホームで、羽幌町観光協会発行「羽幌炭砿探訪MAP」にも載っている。
旧駅前の民家の人の話では、今もかつての炭鉱関係者が訪れるそうで、柱につける駅名標も保管されていた。
築別駅跡や羽幌炭礦鉄道、羽幌炭鉱などが出ているパンフレットは、羽幌町の主要観光案内所にある(沿岸バス本社ターミナルにもあった)。また、下記でPDFファイルをダウンロードできる。
4.築別~天塩有明
築別からは戦後に建設された区間となる。
すぐに築別川橋梁を渡るが、痕跡はなく、ここから東側へ、国道と離れていく。
路盤はほとんど放置され、途中の農道にある有明跨線橋から路盤を見ると、どちらの方向もヤブに覆われていた。
再び海岸線に近づき国道と出会うあたりで茂築別川橋梁を渡る。川は地図上で見る限り河川改修されておらず屈曲したままだから、期待して路盤に上ってみたが橋の跡はなかった。
茂築別川を渡ると、すぐに天塩有明になる。
旧構内は広い空き地になり痕跡はないが、附近には大きな農業倉庫が建ち並び、旧駅前の郵便局は営業中だった。
今回はここまでです。
おしまいまで読んでくださり、ありがとうございました。
次回は天塩有明から豊岬へ向かいます。
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