
北海道の廃線跡探訪 第33回 名寄本線(2/7)下川~西興部間
1.ごあいさつ
ご訪問ありがとうございます。
北海道の廃線跡探訪第32回 名寄本線名寄~遠軽間その2 下川~西興部間です。
下川からは山間部に入り、天北峠を越えますが、トンネルはありません。この区間の路盤はほとんどが放置状態です。
西興部駅は一帯が公園となり、旧駅舎が鉄道資料館になっています。
なお、これからの投稿予定路線などは、初回記事にありますので、そちらをご覧ください。
2.下川~幸成

路盤を改築したふるさと通りは、木の香りが漂う大きな製材工場の横を通り、市街地の東端、二十六線道路で終わる。

ここから未舗装道となり、下川ペンケ川を渡る下糠川橋梁まで歩ける。
ガーダー3連の鉄橋は、レールこそないが、枕木も敷かれたままになっている。

鉄橋の先の路盤は名寄川に沿ったヤブとなって続いているが、1㎞くらいで舗装道路となる。
道路が曲がる地点からは再びヤブとなり、二ノ橋へ向かっている。

1947(昭和22)年12月設置の仮乗降場出身で1950年1月昇格した二ノ橋は、中名寄と同系の駅舎はもちろん、国道からの取付道路さえなくなっている。
新旧の航空写真から大きな工場の前あたりと推定するしかない。

国道の二の橋跨線橋から路盤を眺めると、興部方は畑地となり、名寄方も少しヤブになっているだけで消失していた。
この先の国道並行区間の路盤はヤブとなっているが、途中に小さなIビームの橋があった。

1956年4月設置の仮乗降場で、JR北海道発足時に駅となった幸成も、バス停に名前が残るだけで痕跡はない。

3.幸成~天北峠

幸成の先にも小さなコンクリート橋が残り、国道からも見える。
一ノ橋は駅前通りが裏側に貫通し、駅跡の名寄方には郵便局が併設された一の橋住民センターが建っている。
バス待合所横にある模造駅名標と、開駅記念樹「夫婦松」に駅の面影を残している。


一ノ橋を出ると名寄川を渡るが、路盤も崩され、名寄川橋梁の痕跡はない。
国道とやや離れたあたりの路盤は、伐採地の作業道となっていた。
小さなコンクリート橋がそのまま使われ、沿線電話機のついたコンクリート柱も建っていた。

作業道が終わると再びヤブとなり、国道に並行することには、小さなコンクリート橋がいくつか見える。
天北峠の林道にある天北跨線橋から見ると、路盤には樹木が密生し、不法投棄されたゴミが散乱していた。
2023年10月には作業道にでも使われたのか、上興部方はきれいになり、その先は道路化工事中?だった。

4.天北峠~上興部

天北峠の下の奥興部川には小さいコンクリートアーチ橋が残り、つづいて興部川橋梁となる。
行者の滝へ行く道の踏切跡から路盤をヤブこぎしてみたが、興部川橋梁の痕跡はなかった。

そこから上興部方は農地化されて消えているところが多く、再び国道と近づくあたりから上興部駅構内までは、道の駅「にしおこっぺ花夢」やいこいの森公園に取りこまれている。
上興部駅跡は、いこいの森公園の一部となっている。
芝生のきれいなパークゴルフ場の一角に、上興部鉄道資料館となった駅舎、対向式ホームの一部がある。

ほかにも駅名標や腕木式信号機、ポイント転轍標識、踏切警報機なども保存されている。
保存車輌は、キハ27 109が下りホームに留置され、その後ろにはDD14 302のロータリーヘッドがあり、駅舎の前には9600形の動輪も置かれている(冒頭写真参照)。
キハはエンジンなどの床下機器がすべて撤去され、連結器すらなく、その代わりなのか、鉄板製の箱(底はない)が取りつけられ、車内は半分ほど座敷にされている。


DD14のロータリーヘッドはなくもがなだが、片運転台のキハ27だけではサマにならないからだろうか。
上興部鉄道資料館になっている駅舎の旧事務室には、サボや切符類をはじめ、村内各駅の駅名標などの鉄道関係資料がぎっしり並べられ、キハ58系とDE10形の教習用装置まである。

旧待合室には、キハ27から外したらしい座席や軌道自転車なども置かれている。

上興部駅跡は、西興部村所有の名寄本線関係資料をすべてを詰めこんだという感じがするが、旧駅舎内外をはじめ、車輌もきちんと管理されており、いずれも状態はよい。
5.上興部~西興部

北方に延びていた石灰石鉱山専用線も道路沿いに築堤が残っているが、鉱山はとうに閉山している。
上興部市街地では宅地となっている路盤も、市街地はずれからはヤブになり、鉄製の門が設けられていた。

その先にある米田の沢川には痕跡なく、西興部手前の第9興部川橋梁の跡もない。
西興部市街入口の忍路子川には瀬戸牛川橋梁が残り、国道からも見える。
路盤はすぐ道路となり旧西興部駅構内となる。

今回はここまでです。
おしまいまで読んでくださり、ありがとうございました。
次回は西興部から興部へ向かいます。