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北海道の廃線跡探訪 第109回 手宮線(1/4)南小樽~於古発川橋梁間


1.ごあいさつ

ご訪問ありがとうございます。

北海道の廃線跡探訪 第109回手宮てみやその1 南小樽~於古発川おこばちがわ橋梁間です。

北海道最初の鉄道である、官営幌内ほろない鉄道の後身手宮線は、短距離路線にもかかわらず、駅の設置休止移転などが多く、歴史的にたいへん興味深い路線です。

於古発川橋梁から手宮までは、遊歩道として整備されています
全線が市街地にあるため、探索容易かつ見どころも多いですが、一部の遊歩道区間は観光客が多すぎて、ゆっくりできないのが難点。

なお、これからの投稿予定路線などは、初回記事にありますので、そちらをご覧ください。

2.手宮線小史

1880(明治13)年11月28日、幌内炭鉱の石炭輸送のため、官営幌内鉄道手宮~札幌間が開業、北海道最初の鉄道となった。1882年11月13日には幌内まで延長され、石炭輸送が始まる。

幌内鉄道は1888年4月1日北有社ほくゆうしゃに経営委託、翌年12月11日北海道炭礦ほっかいどうたんこう鉄道に払い下げられた。

北海道炭礦鉄道は1906年10月1日国有化、翌年7月1日手宮~小樽(現・南小樽)間の旅客営業は休止されたが、石炭を中心とした貨物輸送は盛んで、1910年5月複線化されている

1909年10月12日鉄道院の線路名称制定により、小樽~手宮間1.7マイル(2.72㎞)が手宮線となる

石炭船積みのための手宮高架桟橋建設をはじめとする手宮駅構内整備が完了し、1912(大正元)年8月11日には旅客営業が復活する。その際、元の手宮駅は貨物専用となり、小樽方に旅客・手小荷物専用駅が設置された。同時に色内いろない仮停車場も開業したが、2年あまり後の1914年12月1日休止となる

色内は1920年6月1日復活したが、戦時中の1943年10月1日、再び旅客営業は休止となり、線路も単線化された

1948(昭和23)年11月10日旅客営業を再開、手宮は元の位置に戻り、色内は仮乗降場として翌年9月1日復活している

1962年5月15日手宮線の旅客営業は廃止(色内も廃止)され、貨物営業だけとなっていたが、1985年11月3・4日に「さよなら手宮線手宮号」を運行、翌5日廃止された

なお、国鉄としては南小樽を起点としていたはずだが、時刻表上では、手宮が起点扱いで、列車番号も手宮発が奇数、南小樽発が偶数だった。これは南小樽から函館本線札幌方面への直通列車があったためかもしれない。

3.南小樽

1/2.5万地形図「小樽東部」 昭和40年修正に加筆 手宮線が複線表記になっている

手宮線の始発駅だった南小樽は、1880年の幌内鉄道開業時は開運町かいうんちょうという駅名だったが、翌年5月類焼、ちょうど建築中だった新駅に移り、住吉と改称された

さらに北海道炭礦鉄道時代の1900年6月小樽と改称、しかし、次第に市街地が今の小樽駅附近に移動したため、1920年7月それまでの中央小樽が小樽、小樽が南小樽と改称、ようやく現在の駅名に落ち着いている。

なお、駅名が4回改称という記述が見られるが、改称は前述の3回だけであり、第1回改称:開運町(初代駅名)→住吉(2代目駅名)、第2回改称:住吉(2代目駅名)→小樽(3代目駅名)、第3回改称:小樽(3代目駅名)→南小樽(4代目駅名)となる。

1958(昭和33)年に建てられた現駅舎は、セブンイレブンができたくらいで、手宮線があった当時とあまり変わっていない
北側にも出入口があるが、目立たないためか、利用者は少ない。

①南小樽駅 今はメインの南側(札幌方)入り口 2024年5月撮影
①同 北側(小樽方) 駅舎左端の奥まったアルミの扉が出入口 2017年10月撮影

北海道に多く見られた、途中に踊り場のある跨線橋は、手宮線ホームへ降りる部分は階段部の脚だけになり、その下にはホームの一部が残っていた

①先代跨線橋と手宮線ホームの痕跡 2017年10月撮影
①手宮線ホームへの階段がふさがれた跨線橋内部 2017年10月撮影

しかし、2021年エレベーター設置工事のため跨線橋も改築され、ホーム跡だけがわずかに痕跡をとどめている

①跨線橋改築後も残る手宮線ホーム 2024年5月撮影

4.南小樽~於古発川橋梁

手宮線は函館本線と並んで南小樽を出る。
最初の踏切(曙町あけぼのちょう通り踏切)の色内方には、手宮線の線路内に遮断機が設けられているが、線路は入船町いりふねちょう架道橋までほとんど残っている

②曙町通り踏切から南小樽駅構内を望む 左の錆びたレールが手宮線 2024年5月撮影
②同地点から色内方を望む まだ入船町架道橋にレールがあった 2017年10月撮影
②同地点 錆びた線路の先、柵のしてあるところが入船町架道橋 2024年5月撮影

入船町架道橋は南小樽方の市道と入船通りを一気に跨ぎ、通称〝入船陸橋〟といわれている。

③入船町架道橋 入船通りを跨ぐ部分 まだ線路が残っていたころ 2017年10月撮影

幌内鉄道開業時は木橋だったが、1985年レンガ造の橋台・橋脚と上路トラスとガーダーに架け替えられている。

現在の橋脚・橋台は、函館本線上りが単線型、下りが複線型の山側部分を使い、手宮線は複線型の海側部分を使っていた

③入船町架道橋の橋脚 左の単線型が北海道鉄道延長開業時、右の複線型が手宮線複線化時のもの灰色のガーダー2本は函館本線、朱色が手宮線 2017年10月撮影

単線型は、1905年8月北海道鉄道(現・函館本線)が高島(現・小樽)~小樽(現・南小樽)間を開業したときのもの、複線型は、1908年9月の手宮線複線化工事の際に新設されたもので、橋台の周辺も造成されたため、幌内鉄道時代の遺構はまったくない

ガーダーは戦後製で、日本国有鉄道の銘板がついているものもある。
近年、函館本線のガーダーは灰色に塗り替えられたが、手宮線のものは朱色のままで塗り替えられていない。

③ガーダーの銘板 「日本国有鉄道 1970 KS-18」などとある 2017年10月撮影

手宮線廃止後もレールはそのままだったが、2019年ころ外され、道路に架かる部分は、枕木も撤去されている

③入船町架道橋 道路に架かる左端のガーダー上の線路や管理用通路は撤去されている
2024年5月撮影(タイトル写真は2025年1月撮影)

入船町架道橋を過ぎると、小樽へ向け高架となっていく函館本線と高低差がつくようになり相生町あいおいちょう踏切を経て、今度は花園橋をくぐる。

④相生町踏切から南小樽方を望む 2017年10月撮影
④同地点からから色内方を望む 2017年10月撮影

南小樽から曙町通り踏切→入船町架道橋→相生町踏切→花園橋とつぎつぎに道路との交叉が変わるのは、丘陵の多い小樽の地形を示している。

道路橋は「花園橋」だが、海側の橋台には「花園線道路橋」と誤記されている。

ここは幌内鉄道開業時にはトンネル(第1水天宮裏すいてんぐううらトンネル)だったが、1889年4月切り通しに改築された。

⑤花園橋から南小樽方を望む このときは草刈りされていた 右の高架複線が函館本線
2017年10月撮影

花園橋を過ぎると、西へ大きくカーブする函館本線と分かれ、函館本線の擁壁と丘にはさまれ、手宮線はゆるく北へ曲がっていく

⑤花園橋から色内方を望む 2017年10月撮影

この堀割区間は夏はまったくのヤブだが、そこを抜けると、宅地の裏側を行き、一部は駐車場に使われている。

⑥堀割を抜けたところ 南小樽方を望む 2019年4月撮影
⑥同地点より色内方を望む 夏季はヤブ 2015年8月撮影

あいかわらず線路は残っているが、妙見みょうけん通り(寿司屋通り)に架かる於古発川橋梁の橋台手前で途切れている

⑦於古発川橋梁手前から色内方を望む 木柵が於古発川橋梁の橋台 2017年10月撮影

於古発川橋梁は、線路が下部にある下路ガーダー橋だったが、それでも道路とのクリアランスが小さかったため、バスなど大型車の通行ができず、自動車交通の妨げにもなっていた。

妙見通りに架かる於古発川橋梁 川はまだ暗渠化前 大正~昭和戦前期の絵葉書より

そのため、廃止後は早々と撤去され、ガーダーはいまだに南小樽駅構内に置かれている

於古発橋梁とはいいながら、現在は川(通称:妙見川)は暗渠化されて、見えない。

①南小樽駅構内に置かれている於古発川橋梁のガーダー 2017年10月撮影

今回はここまでです。

おしまいまで読んでくださりありがとうございました。

次回は、於古発川橋梁から色内へ向かいます。

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