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北海道の廃線跡探訪 第65回 瀬棚線(1/3)国縫~美利河間
1.ごあいさつ
ご訪問ありがとうございます。
北海道の廃線跡探訪第65回 瀬棚線国縫~瀬棚間 その1 国縫~美利河間です。
瀬棚線跡は、並行道路がない山瀬トンネルが難所です。
美利河の先で新しい国道230号となり、北住吉まではまったく面影がなくなります。
橋はほとんど撤去されていますが、橋台や小鉄橋は見ることができます。
駅舎や車輌の保存はなく、少し物足りない気もします。
とはいうものの、北檜山駅舎はバスターミナルとして健在です。
なお、これからの投稿予定路線などは、初回記事にありますので、そちらをご覧ください。
2.瀬棚線小史
瀬棚線は1929(昭和4)年12月13日国縫~花石間、翌年10月30日花石~今金間が開業、1932年11月1日瀬棚までの48.4㎞が全通した。
1966年からは急行「せたな」(函館~長万部~瀬棚間)も運転されているが、国道の整備や沿線町村の過疎化により、旅客輸送も減少、農産物・水産物の輸送も自動車に転移していく。
第二次特定地方交通線に選定され、1987年3月16日廃止された。
3.国縫~茶屋川
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函館本線国縫駅は無人駅となっているが、大きな駅舎がそのまま残り、駅前広場の一隅にはきれいに手入れされた花壇もある。
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分岐駅だった貫禄を示すような木造跨線橋にも痛みが目立ち、あちらこちらに補修をした跡がある。
チップ積み貨車トラ90000形が並んでいた裏手の製材工場もなくなり、貨物側線はすべて撤去されているが、瀬棚線が使っていた3番ホームは函館本線用となっている。
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函館本線と少しの間並行した瀬棚線は、踏切の先から大きく北西にカーブする。
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国縫川に架かるコンクリートの第1国縫川橋梁は瀬棚線廃止後も残り、函館本線の列車からもよく見えたが、今では撤去されている。
橋を渡った先の路盤は作業道となり、橋方向へは2m以上に生長したイタドリをくぐるようにして身をかがめて歩かなくてはならない。
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急に段差になっているところが、おそらく橋を撤去した跡と思われるが、痕跡は確認できなかった。
茶屋川方は歩きやすく、やがて橋台だけとなった溝橋があった。
下をのぞくと3m以上はありそうだったが、丸太が2本渡してあり、ちょうど木の枝が覆いかぶさるようになっていたので、それをつかんでなんとか渡ることができた。
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作業道は瀬棚線営業当時にはなかった道央自動車道の築堤に突き当たり、不自然に曲がった後、すぐ路盤に復帰するが、その先で左へ折れてしまう。
道とは分かれ直進している路盤は深いヤブになっていて、これ以上進めなくなった。
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国道に戻り、国縫川へ小道をたどってみたが、橋は架けられていなかった。対岸の道には轍もあったが、徒歩で渡れるようではなく(重機かトラクターで渡河しているようだった)、断念せざるをえなかった。
この区間には犬尻川に橋があるはずなので、対岸から見えるかもしれないと、ヤブこぎをして国縫川の堤防に上がってみたが、無駄足だった。
瀬棚線は茶屋川の手前で再び国縫川を渡り国道230号とクロスする。
踏切跡の手前から川へ向かう作業道を行くと、すぐ路盤へ出る。
バラストも残るいかにも廃線跡といった風情だが、第2国縫川橋梁はきれいに撤去され、痕跡はなかった。
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国道の踏切跡はなく、山側に移った路盤にはIビームの小さな鉄橋があり、茶屋川手前の千島川にはコンクリート製の橋台が残っている。
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4.茶屋川~山瀬トンネル
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茶屋川はバス停の裏手にあたり、ヤブのなかに国鉄精算事業団と書かれたポールが建っていた。
そのヤブをかきわけていくと、ホームだったと思われる土盛りがあるが、駅を感じさせるものはない。
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国道と並行する路盤はヤブに覆われているが、萱の川(道路橋の銘板には「国縫川支流」とある)に橋台が残る。それほどヤブの濃くない築堤もあり、小さなIビーム橋が残っていた。
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やがて路盤は国道から離れ、国縫川へ流れ込む茶屋川に架かる第3国縫川橋梁には、前後の築堤とともに橋台が残っている。
瀬棚線は次第に高度を上げていく国道と離れて、山瀬トンネルへと向かっていた。
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5.山瀬トンネル~美利河
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山瀬トンネルのある区間は、並行道路がないので近づくのは難しく、美利河方から何度か接近を試みたが、あえなく敗退。
地図上で国道と路盤が最も近いあたりから踏み分け道をたどり、途中で路盤へ向かってヤブこぎをし、もはや細流となった国縫川を渡ると、ようやく高くなった路盤が見えた。
路盤に上がってみると、意外なことにそれほど濃いヤブではなく、これならトンネルまで歩いて行けそうだった。
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山側のところどころにはコンクリート製の落石止めがあるが、土砂が路盤に流れこんでいるところもある。
30分ほどで切り通しの奥にトンネルポータルが見えた。
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トンネルはまだしっかりしており、内部にはバラストがそのまま残されている。
路盤には国道230号の一級基準点の標識などが立っており、ここも道路化予定だった(今でも?)のだろうか。
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途中には国道方向への小道もあったから、もっと楽に路盤に近づけるのかもしれないが。
山瀬トンネルを過ぎると長万部町から今金町に入る。
山瀬トンネルの美利河方の坑口は国道拡幅により失われ、ほとんど埋められた切通しの跡が国道の南側に見られる。
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ちょうどトンネルのあたりと思われる国道の近くには、瀬棚線建設工事で犠牲となった労働者の慰霊碑が、木の蔭にひっそりと建っている。
トンネルを出ると、すぐ美利河となる。
今回はここまでです。
おしまいまで読んでくださり、ありがとうございました。
次回は美利河から今金へ向かいます。