北海道の廃線跡探訪 第84回 池北線(北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線)(5/10) 大誉地~陸別間
1.ごあいさつ
ご訪問ありがとうございます。
北海道の廃線跡探訪第84回 池北線(北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線)その5 大誉地~陸別間です。
この区間は、陸別手前に鉄橋が残っているほか、薫別の待合室が残っています。
これからの投稿予定路線などは、初回記事にありますので、そちらをご覧ください。
2.大誉地~薫別
大誉地市街を抜けると国道に並行、大誉地川に架かる老地川橋梁橋台が国道から見える。
途中の枯れ川にも橋台が両側に残っており、路盤には撤去された通信柱が転がっていた。
国道から離れた第11利別川橋梁も痕跡はなく、やはり橋台撤去跡なのか河岸近くの築堤は大きく削られていた。
小黒川橋梁には両側、ペンケクンベツ川の黒川橋梁には大誉地方に橋台があった。
路盤はあいかわらずヤブのままで、再利用されているところは少ない。
1958(昭和33)年9月設置の薫別も、仮乗降場並の無人駅だったので跡形はないが、近くに待合室が残っている。
内部の壁には銀河線廃止時の新聞や代替バス時刻表などのほか、真新しいカレンダーや今でも訪れる人が記入している駅ノートまで置かれている。
以前はなかった窓枠も復元?されていたから、奇特な人が管理しているらしいが、老朽化も進んでいるから、将来どうなることか。
3.薫別~陸別
薫別の先の第12利別川橋梁にも痕跡なく、ここから陸別町へ入る。
伏古丹の国道に近接するところには、橋台が残っていた。
第13利別川橋梁手前の新田川には赤いガーダーの新田川橋梁が架かっていた。
第13橋梁にも近づく道がないが、航空写真で見ると橋自体は撤去されているのはわかる。
一方、第13橋梁の先には恩根内川橋梁が残っており、深閑とした森のなかの赤い鉄橋は、レンガ造の橋台や築堤の石積みの擁壁とともに一幅の絵のようだった。
このあたりは北オホーツク自動車道の予定ルートになっており、工事関係と思われる杭(遣り方)もあったから、将来が案じられる。
森を抜けた銀河線は、陸別市街の入口で陸別川と国道を連続して跨いでいたが、どちらも痕跡はなく、国道の先で陸別駅構内となる。
4.陸別
陸別は開業当時淕別(りくんべつ)だったのが、村名改称と同じ1949年陸別(りくべつ)と、漢字・読み方とも改称されている。
「日本一寒い町」として知られる陸別町は、農業のほか林業も盛んだったが、森林鉄道が廃止された今では、駅の南西にあった貯木場は広大な空き地となっている。
かつて9,000人近くあった人口も、2,500人を下まわっている。
陸別にあった林鉄客車については、下記をご覧ください。
銀河線代替バスは、陸別を境に、池田方(帯広行き)を十勝バス、北見方(北見行き)を北海道北見バスが運行している。
全線直通はなく、すべて陸別止まりだが、深名線末期のように極端に待ち時間が長いことはなく、だいたい上下とも接続をとっている。
2024年4月改定の時刻表では、池田~陸別間は9往復(うち2往復は土日祝日運休)・所要時間1時間58分・運賃1,880円。
銀河線末期では、7往復(ほかに足寄止まり1往復)・約1時間半(快速「銀河」は上下とも1時間15分)・1,960円。
陸別~北見間は下り5往復、上り6往復(ただし置戸~北見間は別路線もあり)・所要時間1時間33分・運賃1,580円。
同じく銀河線末期は、5往復(ほかに置戸止まり7往復半)・約1時間半(快速「銀河」は下り1時間3分・上り1時間6分)・1,510円。
バスになっても、銀河線時代と本数、運賃ともほぼ維持されているうえ、池田方面のバスは、すべて帯広まで直通しているので、所要時間は少し延びているが、利便性は変わらないように思える。
陸別駅舎は1993(平成5)年、道の駅(正式登録は2000年8月)や宿泊施設を兼ねた「オーロラタウン93りくべつ」に改築されており、廃止後もそのまま使われている。
今回はここまでです。
おしまいまで読んでくださり、ありがとうございました。
次回は、ディーゼルカーが動態保存され、運転体験もできる「りくべつ鉄道」の区間(陸別~分線)です。