北海道の廃線跡探訪 第14回 富内線(3/4)穂別~振内間
1.ごあいさつ
ご訪問ありがとうございます。
北海道の廃線跡探訪 第14回 富内線の第3回です。
富内線は、富内~幌毛志間で、それまでの鵡川流域から、沙流川流域へと変わります。
富内からは国鉄が建設した路線となり、戦後の開業区間です。
なお、これからの投稿予定路線など下記記事にありますので、そちらをご覧ください。
2.穂別~富内
穂別市街を出て穂別川までは路盤の痕跡はなく、穂別川橋梁も跡形はない。
その先の路盤は農道として使われているところもあり、線路標識が残っていたが、だいたいヤブになっている。
中島地区の先から路盤は舗装道路になり、梅の沢川やフカウシ沢川の橋はすべて架け替えられている。
フカウシ沢川の先で舗装道路はなくなり、もはや廃道状態の道路がある。
半ばヤブに覆われた道路はやがて路盤に合流するが、パンケルサノ沢川の手前で路盤と分かれる。
ヤブに覆われた路盤を行くと、大きく崩れたパンケルサノ沢に出た。橋は跡形もなく、崩れた対岸の路盤の断面が見えていた。
富内の手前で樹林から現れた路盤は舗装道路となり、富内駅(旧・辺富内)構内に突き当たる。
3.富内
富内は、駅構内が富内鉄道公園となっている。
営業当時とほとんど変わらず保存され、登録有形文化財に指定されている。
駅舎は北海道鉱業鉄道時代のもので、栄などと同様、産業鉄道にふさわしい簡素なデザイン。
下手に復元していない分、現役当時をほうふつさせる。
駅舎側のホームには、富内ほか穂別・豊田・栄の駅名標が保存されているが、文字は近年、書き換えられている。
反対側のホームは新たに造られたもので、高さも違い、長さも短い。
貨物ホームにはスハ45とオハフ33が置かれ、かつてスハは簡易宿泊所(ライダーハウス)、オハフは物置として使われていた。
両車とも塗り替えられ番号もないが、各種資料によると、スハ45 26、オハフ33 1568。もはや使われていないが、状態は悪くない。
ほかにも銀河鉄道をイメージしたという「宇宙にのぼる鉄路」もあり、よくも悪くも、「登録有形文化財」という、かたくるしさはない。
駅舎の事務室内には、映画「鉄道員(ぽっぽや)」の撮影に使われた備品が展示されている。
富内鉄道公園は、「富内駅」としての復元はなされず、貨物側線の終端には車止めが埋もれ、腕木式信号機の遠隔操作用ワイヤーも切れているなど、文化財として、万全の整備状態とはいいがたい。
車輌も含め、全体的に統一した、登録有形文化財「富内駅」としての再整備を望みたいが、復元整備費やその後の維持管理費を調達するのが、むずかしいことはよくわかる。
しかし、現状の雰囲気もすばらしく、今でも訪れてみる価値は十二分にある。
こうしたごく普通の駅が、登録有形文化財に指定されるとは、古きよき鉄道風景が、いかに失われてしまったかの証と思える。
3.富内~第1日振トンネル
富内からは、買収前から国鉄による建設工事が始まっている。
国鉄建設線にふさわしく、築堤やトンネル・橋梁などが多く、とくに戦後建設の振内~日高町間に著しい。また、主要な道路とは立体交叉している。
富内構内を出ると富内線は直角に曲がり南東方向へ向かう。道道610号までは線路がそのままで草も生えていない。
車止めにはトロッコや森林鉄道に使われるような細いレールが置かれ、片方の踏切警報機も残っている。
踏切のすぐ先で鵡古川橋梁となっていたが、築堤もろとも撤去され、その端にはモニュメントのように距離標と枕木があるが、路盤はススキが密生していてとても歩けない。
鵡川橋梁、それに続く辺富内橋梁の跡はなく、対岸の架道橋も痕跡はないが、しばらくすると道道131号に沿って築堤が見えてくる。
第1日振トンネルへは、林道化されたところから、路盤を歩いて行くしかなかった。
富内線跡には線路標識がところどころに残っており、この区間にも距離標が数ヵ所に立っている。
路盤は5か所ほど崩壊しており、うち2か所は完全になくなっていた。
やがて小さなコンクリートアーチのパンケオソケナイ橋梁に出会えた。
第1日振トンネルは低い切り通しの突き当たりにあり、手前の路盤には湧き水が幾筋にも流れている。第1日振トンネルを出ると、平取町へ入る。
4.第1日振トンネル~振内
サミット近くの道道の旧道をたどると、谷間の伐採地に出る。その北側に第1日振トンネル、南側に幌毛志トンネル、トンネルの間に小さなコンクリートの橋がある。
富内方と同じ、円柱を切ったような質素な感じのするポータルは、上部にあまり余裕がないのも変わっている。
幌毛志トンネルの幌毛志方ポータルは、道路から築堤を上っていくとヤブのなかにひっそりと残っていた。
路盤は道道とだいたい並行しているが、かなり上の方になる。一時、森林伐採の作業道となっていたところもある。
旧国道を跨いでいた架道橋は、築堤もろとも崩され、ホロケシオマップ川の橋は、畑地に橋脚の一部のようなコンクリートの土台だけが残っている。
国道237号の新道とクロスした先にあった幌毛志は、駅前通りらしき道があるだけだった。
路盤は幌毛志から作業道となり、広大な農地を築堤で横切っているが、一部は崩され、さらに振内市街の手前まで国道に転用されている。
国道をオーバークロスすると、振内まで築堤が残り、ルケプ川に架かるコンクリート製の舞鶴川橋梁?も見られるが、フレナイ川橋梁は撤去されていた。
今回はここまでです。
おしまいまで読んでくださり、ありがとうございました。
次回は振内から終点日高町へ向かいます。