小高い丘の自販機 #1 健太のグローブ
それは夜だけ出現する自動販売機。注文できるものー【それはあなたの思い出の品】今はキャンペーンで一律1000円と表示されているが、かなりいかがわしい。
美沙子は2 、3日前に突然現れた自動販売機に強く心を惹かれながらも、そんなものあるはずがないと、頭で強く打ち消した。最近、美沙子は夕食後に健康のために歩くようになった。そして、その途中で見つけた。マンションの裏手の丘にポツンと立ち、なぜか不思議な光を放つ自販機を。
今日も立ち止まり、それを眺めているうちに、いつの間にか意識は飛んで、昔のことを昨日のことのようにありありと思い出していた。
3年生の時、交通事故にあって、突然逝ってしまった息子。あの日も宿題をしていないことを「全くあんたって子は」と厳しく叱った。だから、健太は「行ってきます」も言わずにバタバタと玄関を飛び出した。
1 時間後、学校に行く途中、健太が大型トラックにはねられたとの連絡があった。あっという間に、あの元気がいいだけが取り柄の健太が亡くなるなんて。私はありふれた日常が、これからもずっと続くと思っていた。宿題なんかどうでもよかったのに…
つらい現実を受け入れることができず、私の時計はその時から止まってしまった。
泣いてばかりいる私を夫は励ましてくれたが、何年たっても暗い家庭に最後は嫌になったのだろう。ある日出て行ってしまった。そして私は1人になった。
けんちゃんの部屋はあの日のままだ。でも、1つだけ健太のお気に入りのグローブだけは見るのがとても辛く、処分してしまった。どうしてそんなことをしてしまったのだろう。後でとっても後悔した。そんなことをぼんやりと考えていると、アナウンスが聞こえた。
「あなたの思い出の品、注文できます」
そのあっけらかんとして何の悩みもなさそうな声に、美沙子はちょっと、いらっとした。そして『どうせ私の注文するもなんか出せはしない』と挑戦的な気持ちになった。
そこで「息子のグローブをお願いします」と自販機に向かって声をかけた。
すると「わかりました。じゃあ頭の中にそのグローブを思い浮かべてください。色や形など細かくイメージするほど本物に近づきますよ」との声が聞こえた。
「えっ?そうなんですか」
「そうです。あなたの頭の中の映像をこちらが脳内スクショして、品物を出すのです。息子さんのグローブの特徴を思い出して、頭に浮かべてください」
「はい。わかりました」
3分ほど経っただろうか。がたりと音がして美沙子は我に帰った。目の前にはまさしく健太が使っていたグローブがある。なんということだろう。
「けんちゃん〜」
思わず美沙子はグローブに向かって叫んだ。すると、健太が向こうから走ってきた。
「けんちゃん」
美佐子が声かけても、その子は何も反応しない。その後から30代とおぼしき夫婦が歩いてきた。
男性の方が目を見開くようにこちらを見て
「もしかして、かあさん?」
「えっ!」
「僕だよ。健太。隣は妻のひまり。息子は駿と言うんだ」
「私は、しゅんくんをけんちゃんだと勘違いした。だって。しゅんくんはあなたの小さい時にそっくりだから」
「かあさん、僕の命はかあさんのいる世界では終わったけれど、こちらの世界では、成長して結婚もした。いま家族3人で楽しく暮らしているんだよ。かあさんが僕のグローブを注文したので、かあさんの世界と僕の世界が奇跡的につながったんだよ」
「私はあなたが突然事故にあって亡くなったので、ずっと自分を責めてきた。
でも違う世界ではあなたは生き続けていた。それがわかったので、かあさんは今ほっとして、とてもうれしいよ」
「かあさんは今、幸せ?僕はとても幸せだよ。どうか僕のことで自分を責めないで、これからは、かあさんの人生を生きてください。それが僕のお願いです」
そう言う健太の姿がだんだん薄れてきた。一瞬、交わった2つの世界が、また離れ始めているのだろう。何とも不思議で夢のようなことが起こっていた。
「お買い上げありがとうございました」
突然聞こえたその明るく屈託のない声に、美沙子は現実に戻った。それから彼女は自販機に向かって話し出した。
「あなたにもお子さんいるのかしら。子どもはあっという間に大きくなるのよ。『パパと遊びたい。お仕事に行っちゃいや〜』と言うのはほんの一瞬のこと。後で後悔しないように、お仕事は、ほどほどにね」
それを聞いて、自販機の後から製作者の耕平が現れた。
「僕は、アイデアを思いついたら、いてもたってもいられず、仕事にのめり込んでしまうのです。困っている人を助けるのも大事ですが、まず自分の家庭があってのことですね。妻にも今朝そのことを指摘されました。ありがとうございます」
それから、自販機の光はすうっと消えて、跡形もなくなった。そしてあたりは闇に包まれ、また静けさが戻ってきた。空には、か細く光る三日月だけがあった。
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