デモクラシーの教理
デモクラシーの社会においては、労働こそが最高の、そして最低限の倫理となる。労働によって社会に参加していない者は、道徳者としての権利を奪権される仕儀におちいることになる。もちろん、引退した老人や病者や懐胎者などは、その任務を拒否する権利を公式には認容されるが、それでも、人々の疎意の内的対象にはなりうるのである。
だが、社会は、とりわけ国家社会は労働倫理だけで動き、生きるものではない。労働倫理は本来社会にとって社会精神の一つの構成要素にすぎないのであって、社会は諸種の倫理や価値観によって内的秩序を構成するものである。労働の意味を導くものが必ずしも労働倫理自体とはならないし、また、賃金を付与される労働が、労働倫理によってのみ力行されるとも限らない。社会精神となる生命としての倫理は、あくまでもそれ自体で価値を持たなければ意味を有しないのであり、その現実態によって価値が決定されるわけではない。
労働倫理の絶対化は、社会内から他の倫理の除去を実行する。言いかえれば一社会の現実態を経済体のみ人々に映ぜしめるという詐術を実行する。また、その他の現実態をも、経済体に帰属する現象として、人々に認識せしめる。
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