平和のジェノサイド

 国家社会は、殺戮なくして存立しないことを知得しなければならない。平和などというのは、政治的な図式における概念でしかなく、家庭のレジャー・華やかな学生生活・ポップソングやスポーツ鑑賞の陰に隠れて、合法的な殺人が集積されている。政府・企業・病院・学校は、これに暗に明にと関わっている。社会システムは、よしんばそれが耳あたりの良い理念を掲げているとしても、その手先は血に浸かっている。徴税は、過労は、医療検査は、試験競争は、必ず人の死に関わっているのだ。
 社会システムとは、言うなれば犠牲者たちの墓碑である。その天網恢恢(省略)が完璧であればあるほど、多くの人を殺している。そういう意味では、我が国の間隙を許さない管理は、どの国よりも確固たる殺戮の形式を有していると言える。それは明確な犯跡を残している。
 殺戮と進歩の共存(コモンウェルス)と、殺戮と自然の共存(アナーク)。どちらが「平和」だろうか。もし、行く末が変わらないなら、最初からアナークのほうがましだったのではないのか。貴族の代わりにテクノクラートが現れ、いったい何が変わったのか?
 
 犠牲者たちの悲運が、どうか来世で報われますように。

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