”病休”と”復帰”が私にもたらした変化 第一話
病気休暇(以下、病休と記します)。経験するなんてこれっぽっちも思っていなかった私が、病休を経験しました。
それまでは自分なりに必死に働いて、いろんなことを学んで、いろんなことにトライし、いわゆる”一生懸命”でした。
そんな時、ボタンのかけ違いがあったようで、私の中ではそんなに大きいものとは思っていなかった(この感覚がきっとダメ)のですが、そのかけ違いが全ての原因だったのだろうと、今では思えます。
今回は、夏休みに入ったので、病休に入ってから復帰してのことを振り返りながら、それらが私に何をもたらしたのかを考えたいと思います。
拙い文章が並んでいくと思いますが、その点を理解した上で読んでいただけると幸いです。(本当に、そこらへんよろしく頼みます)
病休へのカウントダウン
ある日の朝、「担任を続けることができません」と校長に涙ながらに伝えました。その時のことは覚えておきたくないのですが、不思議と覚えています。校長は、校外学習の引率がある朝にもかかわらず、親身に話を聞いてくれました。一通り私の話を聞いて後、「思いはわかりました。一度、管理職で話してみます。無理はしないでください。また何かあったら話してね。」と。
それから程なく、管理職二人と私は話をすることになりました。私が担任をなんとか続けてほしいというニュアンスを含めながら話をし、激励の言葉をくださいました。しかし、私の心にはその激励を受け取り、奮起するほどの元気はありませんでした。ただただ、「ありがとうございます。でも、もうできません。できる自信がありません。」という言葉を項垂れながら伝えていました。
毎日にのように校長室にいき、保護者からどんな連絡があったのかについて話があり、事実確認をされました。放課後の時間がどんどん減っていき、校長室から出る頃には、帰らなければいけない時間。教材研究する時間や学年、校務分掌の仕事などをする時間もほぼ無いに等しい。そんな状況になっていったときには睡眠にも影響が出ていました。中途覚醒により、全然寝た感じがないのです。リセットがかけられない状態。つまり、1日1日と少しずつ疲れとストレス、その他諸々を気付かないうちに積み重ねていったわけです。
このような状況が続き、いつしか私の中の何かがプツンと切れ、あの朝を迎えることになるわけです。
さて、苦しかった時期のことはこのくらいでいいでしょう。本題へと参ります。そう、この苦しんだ日々とその休養期間が私にもたらしたものは一体なんなのか。
続く。
次回
「 限りなく広がる未知の魅力〜私を救った外の世界〜」
第一話を読んでくださりありがとうございました。