
#聴いてみた Rachmaninoff ピアノ協奏曲第1番
NHKFM[「音楽の泉」のRachmaninoff作曲『ピアノ協奏曲第1番』を聞き逃し配信で聴いてみた。
曲目
「ピアノ協奏曲 第1番 嬰ヘ短調 作品1」ラフマニノフ:作曲
(ピアノ)ダニール・トリフォノフ、
(管弦楽)フィラデルフィア管弦楽団、(指揮)ヤニック・ネゼ・セガン
(28分04秒)<ユニバーサル UCCG1861>
「ロマンス イ長調 6手連弾のための」ラフマニノフ:作曲
(ピアノ)ダニエル・ゲルツェンベルク、
(ピアノ)アントン・ゲルツェンベルク、
(ピアノ)リーリャ・ジルベルシュテイン
(4分32秒)<ワーナー WPCS12936/7>
「組曲 第2番 作品17から 序奏」ラフマニノフ:作曲
(ピアノ)マルタ・アルゲリッチ、(ピアノ)ガブリエラ・モンテーロ
(3分37秒)<ワーナー WPCS12936/7>
「愛の悲しみ」クライスラー:作曲 ラフマニノフ:編曲
(ピアノ)ウラディーミル・アシュケナージ
(4分12秒)
曲解説(奥田佳道先生解説からの抜粋)
歴史的なピアニストでもあったラフマニノフ、若き日の肖像とも言うべきコンチェルト。彼はこの作品に愛着があり何度も演奏をしている。晩年には改訂も行った。ラフマニノフの作品1。稀有壮大な鍵盤芸術をご一緒いたしましょう。
哀愁を帯びた第1楽章のテーマ。
これぞロシアンロマンと評したくなるノストロジックな調べ。この香しい調べは金管楽器の運命的なファンファーレとピアノの情熱的なソロの後に聴こえてくる。ドラマティックな対比、コントラストをお楽しみください。10代のラフマニノフはピアノ協奏曲を作曲するにあたり、グリーグのピアノ協奏曲に想いを寄せていた。又、青年時代のラフマニノフはチャイコフスキー、ベートーヴェン、シューマン、ショパンの音楽にも憧れを抱いていた。
1873年ロシア生まれ
ロシア革命後はヨーロッパやアメリカで活躍。
1943年アメリカ、カルフォルニア州ロサンゼルス郡ビバリーヒルズで亡くなっている。
モスクワ音楽院在学中からピアノのヴィルトゥオーゾ、華やかな技巧と音楽性をもったピアニストとして知られていた。
因みにモスクワ音楽院ピアノ科でのライバルは、スクリャービンだった。
ピアノ協奏曲第1番はモスクワ音楽院在学中の1890年から1891年にかけて、ラフマニノフが17才から18才の年に最初のヴァージョンが作曲された。そして完成の翌年、1892年の3月にモスクワ音楽院のコンサートで第1楽章が演奏された後、1899年から1900年にかけて、ロンドンとモスクワで全曲が初演されている。曲はラフマニノフの恩師のピアニストでチャイコフスキーとの関りでも知られるアレクサンドル・ジロテイに捧げられた。
しかしラフマニノフは作曲家、ピアニストとして名声を博した後、1917年にこのピアノ協奏曲を大きく改訂した。
曲の出来映えに満足していなかったことを伝える手紙が残っているが、作品を葬ることなく手直しを行ったのはそれだけ曲に思い入れがあったから。
ラフマニノフはピアノのパートのみならず、オーケストラのパートにも手を施した。
第3楽章にトライアングルとシンバルを加える。
ピアノ協奏曲第2番、第3番のフィナーレにも打楽器が入っている。大改訂されたピアノ協奏曲第1番は1919年1月、ニューヨークでラフマニノフのピアノによって初演された。
1919年と言うと、ピアノ協奏曲第2番、第3番、交響曲第2番等の名曲を完成させた後ということになる。
アレグロ・ヴィヴァーチェと記されたドラマティックな第3楽章
「この曲で私たちが出会うのは燃えるような野心を抱きロマンティックな夢を追うラフマニノフです。」(By ダニール・トリフォノフ)
今朝は1991年ロシア出身のピアニスト ダニール・トリフォノフのソロ、ラフマニノフ所縁のオーケストラでもあるフィラデルフィア管弦楽団の演奏でお送りします。
Rachmaninoff『ピアノ協奏曲第1番』を聴いてみて
今年はラフマニノフ生誕150年没後80年のアニバーサリーイヤーなので、1年をかけてラフマニノフ作品を聴く機会が沢山あることと思うが、特にこのピアノ協奏曲第1番は同2番や3番に比べると圧倒的に演奏会で取り上げられることが少ないので、取り上げて頂き非常に嬉しかった。この曲のスケールの大きなロマンや情熱、そして繊細さを伴いながらの哀愁や郷愁を帯びたメロディ…いつ聴いても胸が熱くなり感動してしまう。
私がこの曲を初めて聴いたのはラフマニノフ自作自演CDの演奏だった。特に第3楽章の劇的な出だしを聴いた時は、「人生にもっと情熱を抱け」と鼓舞されているかのようだった。今回は(ピアノ)ダニール・トリフォノフ、
×(管弦楽)フィラデルフィア管弦楽団、(指揮)ヤニック・ネゼ・セガン
の演奏だったが、こちらも名演奏、そう現代のラフマニノフがそこに表出したかのような演奏であった。