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#聴いてみた ショパンのスケルツォ

NHKFM[「音楽の泉」のショパンのスケルツォを聞き逃し配信で聴いてみた。

曲目

スケルツォ 第1番 ロ短調 作品20
チョ・ソンジン(ピアノ)
作曲: ショパン
(8分52秒)<ユニバーサル UCCG-45021>
🖊曲解説にて

スケルツォ 第2番 変ロ短調 作品31
チョ・ソンジン(ピアノ)
作曲: ショパン
(9分45秒)<ユニバーサル UCCG-45021>
🖊曲解説にて

スケルツォ 第3番 嬰ハ短調 作品39
チョ・ソンジン(ピアノ)
作曲: ショパン
(7分18秒)<ユニバーサル UCCG-45021>
🖊曲解説にて

スケルツォ 第4番 ホ長調 作品54
チョ・ソンジン(ピアノ)
作曲: ショパン
(10分44秒)<ユニバーサル UCCG-45021>
🖊曲解説にて

歌劇「ドン・ジョヴァンニ」から お手をどうぞ
ブリン・ターフェル(バス・バリトン) 、 ミア・パーション(ソプラノ) 、 スコットランド室内管弦楽団(管弦楽) 、 チャールズ・マッケラス(指揮)
作曲: モーツァルト
(3分13秒)<ユニバーサル UCCG-1337>
ショパンが好きだったモーツァルトのオペラから「ドン・ジョバンニとツェルリーナの二重唱」をお送り致します。

曲解説(奥田佳道先生解説からの抜粋)

🖊今朝は鍵盤の詩人、ショパンのスケルツォをお送り致します。
(♪~)
全部で4曲あるショパンのスケルツォ、第1番の冒頭を少しお送り致しました。
情熱的ですね。
音楽への内なる尽きせぬ想いが奔流の如く溢れ出て参りました。
スケルツォは主に速いテンポで演奏される三拍子のおどけた音楽、楽章のこと。
語源はイタリア語で冗談という意味です。
冗談を言うという動詞「スケルツァーレ」からは「スケルツァンド」という言葉、おどけた感じで滑稽にという音楽の表情語も生まれました。 
このスケルツォ、音楽史を紐解きますと17Cの初めに登場、有名な作曲家では モンテヴェルディが1607年に「音楽の冗談」(スケルツィ・ムジカーリ)という声楽と合奏の為の曲を作曲、バッハも「鍵盤のための6つのパルティータ」でスケルツォよいう言葉を使っていますが、このユーモアと激しさを併せもつスケルツォが音楽の様式として脚光を浴びるのは古典派の時代、 ハイドンはピアノソナタや弦楽四重奏曲で三拍子の優美な宮廷舞曲メヌエットに替わってスケルツォを書き、音楽に独特の生命感、躍動感を与えました。
そしてベートーヴェンがスケルツォをこよなく愛し、交響曲やソナタでテンポアップした激しい楽章を書きます。
人生を鍵盤芸術に捧げたショパンもピアノ三重奏曲、ピアノソナタ第2番第3番でスケルツォの楽章を書いていますね。
一方ショパンはこのスケルツォというテンポの速い3拍子の音楽に更なる芸術的な可能性を感じ、器楽曲の一楽章ではなくスケルツォを音楽のジャンル、タイトルにします。
ショパンはスケルツォを通じピアノという楽器の素晴らしさ、自らの華麗な技、彫りの深い音楽性をアピールした訳ですが、彼と同時代の文学に於ける諧謔性、文学に於ける劇的な展開をピアノで表現したかったのかもしれません。
いずれにしましても、器楽の形式の1つだったスケルツォはショパンによって独立した音楽のジャンルになりました。
バラードもそうですね。

スケルツォ第1番は母国ポーランドを離れウイーンに滞在していた1830年頃に着手されたと考えられています。
首都ワルシャワではロシアの圧政に対抗する武装蜂起がおこり、ショパンの心も揺れていた時期でした。
ショパンはワルシャワに戻ることなく外国で音楽活動を続けることを決心しますが、激動の時代を迎えていた母国ポーランドへの想いは高まるばかり、或いは母国に何も貢献できない自分に苛立っていたのかもしれません。
ロ短調、プレスト コンフォーコ、急速に 炎の如くと記されたスケルツォ第1番の中ほどにポーランドのクリスマスキャロル「眠れ幼子イエスよ」のメロディが織り込まれています。
ワルシャワから遠く離れたウイーンでクリスマスシーズンを過ごしたショパンの心情を表した物でしょうか。
今朝は1994年韓国ソウル出身のトップアーティスト チョ・ソンジンの演奏でお送り致します。

続いて第2番、4曲のスケルツォの中で一番愛されている作品かもしれません。
ピアニストにとっては稀代の難曲でもあります。
1830年代半ばにパリで作曲され1837年に出版されました。
プライヴェートではその頃、マリア・ヴォジンスカという令嬢との別れもあったようですが、ショパンはピアニスト 作曲家 音楽教師としてパリのサロン、社交界で活躍していた時期です。
ショパンの音楽を高く評価していたシューマンはこれからお送りするスケルツォ第2番のことをイギリスのバイロンの詩に匹敵する作品と評しました。

続いて第3番嬰ハ短調です。1838年1839年に 作家ジョルジュ・サンドと暮らしていたスペインのマヨルカ島で作曲、彼女の別荘があったフランス中央部のノアンで完成しました。
曲は愛弟子のピアニスト アドルフ・グートマンに捧げられています。
ドイツ人のグートマンはパリで学びショパンが最も信頼を寄せ共演も行ったピアニストでした。その演奏は情熱的で力強かったと言われています。
スケルツォ第1番と同じくプレスト コンフォーコ 急速に炎の如くと記されたスケルツォ第3番をお送り致します。

続いて第4番です。 
ショパンの創作が最も充実していた時期、1842年1843年に作曲されました。 4曲のスケルツォの中で唯一長調で書かれています。
勿論、この4番技巧的な曲ですが、雅でしなやか、そして軽やかさ、華やぎ、即興的な調べもキーワードになるでしょうか。
ショパンはメンデルスゾーンとも親しかった歴史的なピアニスト イグナーツ・モシェレスのお嬢さんにこの曲を教えたと言われています。

歌劇「ドン・ジョヴァンニ」から お手をどうぞ ブリン・ターフェル(バス・バリトン) 、 ミア・パーション(ソプラノ) 、 スコットランド室内管弦楽団(管弦楽) 、 チャールズ・マッケラス(指揮) 作曲: モーツァルト (3分13秒) <ユニバーサル UCCG-1337>

🖊ショパンのスケルツォを聴いてみて

ショパンのスケルツォを4曲続けて聴くことは中々ないので非常に濃厚な時間であった。
スケルツォとは元来おどけた音楽と言う意味だが、このショパンのスケルツォを聴いているとどの曲も芸術性が高く物語性も十分に感じられる作品となっている。
又、演奏者のチョ・ソンジンのピアノが大変美しくまだ年齢的には若手ではあるが最早風格すらも感じられる演奏だった。
ショパンのスケルツォの魅力を素晴らしいピアニストの演奏で聴くことができ大満足である!




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