「水星の魔女」の起こしたクィアベイティングについて思うこと

気付けば「機動戦士ガンダム 水星の魔女」の最終回放映からもう一年以上が経った。

心の中に今でも消えないわだかまりがある。
それは公式が未だにスレッタとミオリネの「結婚」削除騒動に関して、謝罪の一言を入れることも、撤回もする気配も一切なく、クィアベイティングの姿勢を取り続けていることだ。

それどころか今年6月下旬にあったバンダイナムコの株主総会では「描写をどう捉えるかを含めて多様性であり、当社は特定の立場を取るものではない」と、「結婚」削除の意図をさらに強固にするようなことをバンナム側が言っていたらしい。
伝聞の情報でもその時は、一年越しに怒り心頭になった。

結婚削除騒動と、クィアベイティングについてはこちらの記事を読めば経緯は分かると思う。


この事件を風化させたくないので、私もこうして、今の気持ちを残してみることにした。

私はリアルタイム視聴時、このアニメの事を結構本気で期待していた。


・一話で描かれた「水星ってお堅いのね」から予想される同性婚が当たり前になっている世界。

・スレッタとミオリネが一話で婚約関係を結び、絆を深めて本当に結婚するであろう展開。


この要素が無かったらこの作品を毎週追いかけようとは思わなかったと思う。

なぜ、ここまでこの要素に肩入れするのかというと、現実では同性婚が出来ないし、女同士の恋愛の話、ましてや結婚を描いた話は絶対数が少ないからだ。

フィクションの中でぐらい夢を見たかった。だからその分だけ期待してしまった。


だが、夢を見続けられたのかというとそれも微妙だった。
まず、同性婚が当たり前風に言われている割には、同性カップルと思しきキャラが出てこない。ナイラ・ウェンディ、イリ―シャ・メイジ―も相当親密に見えるが紹介文は「親しい」止まりだ。

同性婚が当たり前なら父親が二人、母親が二人の家庭があってもおかしくないのだが、作中では男女の夫婦しか出てこない。
「こっちじゃ全然有りよ」はもはや「私は有りよ」というミオリネ主観の意味のセリフだったのではと疑うレベルだった。

そして、二人の関係性の描写は行間を好きに読めと言わんばかりに核心的な場面を見せてはくれなかったし、決闘で決められた花嫁花婿の関係性を守ったままで、「好き」も伝えなかったし、キスシーンはもちろんなかった。
一期opedの描写の濃密さと比べるとかなり拍子抜けだった。
今思うとこのopは本編の展開の暗示というより、イメージ映像に近いものだった。


放送終了後は二人の関係は恋愛か否かで、ネット上で視聴者同士が揉めているところをよく見かけた。

私は二人の恋愛関係を期待しながら視聴していた立場だが、どちらの意見にも共感できなかった。

正直、本編だけだと「恋愛に見えなくもない」という印象だった。解釈を受け手に委ねすぎていると思った。

けれど、グエル→スレッタの「お前が好きなんだ」というストレートな告白や、スレッタ→エランの赤面など、男女の表象になると途端に古典的かつ明白な演出になる。

なぜ、これをスレッタとミオリネでもできないのか不思議で仕方がなかった。
よほど二人の関係性が好きで描写を深読みしないと、恋愛とは読み取りにくい作りになっていたと思う。そのため、最終回後にネットでよく見かけた「二人の関係性を認めない=同性愛差別主義者だ」という糾弾の仕方も頷けない。
本編の描写次第で、両者の溝はもっとマシなものになっていたんじゃないかと思う。

2人が結婚したかどうかも、よく目と耳を凝らせば分かる程度の描写だった。
薬指で光る指輪も誰かがTwitterにスクショを貼っていなければスルーしていたと思う。なぜ、手元がアップになるカットで左手が映るようにしないのか。
そして、最終回後も、主演声優、公式からは「結婚」については徹底的にノータッチ。視聴者だけで「結婚」に盛り上がって、「スレミオ結婚」がトレンド入りするという奇妙な空間が生まれていた。

私はその奇妙なお祭り感に飲まれ、
最終的には「あんまり期待していたものは見られなかったけど二人が結婚、したなら、まあ、良かった…のかな…」
という評価に落ち着いた。

だが、「一応結婚して、良かった…」という気持ちは
前述の結婚削除騒動によって吹き飛ばされる。
「良かった…」は一気に「許せない…」に変わった。

かつての私が、水星の魔女の同性婚のできる世界に、一瞬でも夢見た気持ちを踏みにじられたと思った。

こうなることが分かっていたら、タイムマシンに乗って、一話を見て感動している私に「今すぐこのアニメを見るのをやめろ」と伝えに行ってやりたい。

現実でもまだ無理なのに、好きになった作品からも「同性婚はさせられない」なんて明示されたら絶望するに決まってる。実際したし、今もしてる。

このアニメは生まれてこない方が良かったのでは。と書かれた記事を最近読んで、いたく共感した。この記事のように私もこれだけ傷ついたのだということを残しておかなければいけない気がした。

未だに謝罪も撤回もしない公式側は自分たちのしでかした事の重大さを多分今も全く分かっていないのだと思う。

現実で同性婚ができないこと、性的マイノリティが被る不利益、そういった社会問題に全く興味が無いのだろう。

同性婚を軽く扱わないでほしかった。
今だって同性婚に関する裁判が続いているし、違憲判決が出ても国は一向に法整備する気が無いのだから、なおさらだ。

せめてもう、これ以上この作品に感情を乱されたくない。
でも、バンナムがバンナムである限り、この間の株主総会みたいなことはこの先も起こり続けるのだと思う。

期待したから裏切られたのか。
だからこのコンテンツに期待することは金輪際やめようと思った。

いくらスレッタとミオリネでセットのグッズを作られようと、仮にこの先、劇場版が作られたとしても、バンナムが今の商売を続けるなら関係性の「解釈の余地」は残され続けるのだと思う。

こちらの記事にある通り。同性婚要素はバズ目的で入れた。という方がバンナムの一連の行動に納得できる。

最終巻のBlu-rayのブックレットのインタビューで、監督が二人の「結婚」を明言していたというが、それはあくまで監督個人の意向で、公式が結婚削除を撤回しないこととはまた別の話だと思う。

株主総会でもあった通り、水星の魔女公式は解釈の余地を残し続けることを選んだ。

私はこれらのことを一生根に持つだろう。
もうこんなことは絶対にあって欲しくない。

せめて、こういった記事を残すことで抵抗を続けたい。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?