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工員からの脱獄③

-風穴-


それで転職して食べて行けるかどうかは関係ない。
とりあえずこのエネルギーを何かに向けたい。
退屈なこの人生に風穴を空けたい。

そんな気持ちだった。

とりあえず行政書士でも取ろうかと仕事の休憩中に参考書を読んだりする日々だった。
これがそこまで苦労なく合格に至った。


「こんなものか」というのが正直な感想だった。
これで変な勘違いをし、単純に次は司法書士でも取ろうかとステップを進めた。
この時は既に勉強が趣味みたいになってしまっていたと思われる。


会社員をしながらの独学だったのもあってか、特に焦りもなく勉強ライフを楽しんですらいたかもしれない。


そんな司法書士の勉強時間確保の代償は大きかった。
「朝」は深夜2時に起き、暇さえあればトイレでも六法を読んでいたり、とにかく空いた時間を詰め込んだ。
しかし、それは出世をはじめとする会社での将来を捨てることとなっていた。
同期が遊びや出世にリソースを割くのを横目に見て全てを資格取得にベットしていた。
これには家族も犠牲になっており、はたから見ればアホですらある。
しかし、それくらいの難度でなければ人生に風穴なんて空かないと思った。


「俺らはそんなん勉強しても無理だって」との言葉も何回も聞いた。


数回の失敗を経て、それは成った。合格した。


風穴が空いた、そう思えた。


-周囲との差-


「俺は変わった」


これで会社が少しは楽しくなるかな、と何故か期待していた。


・・が、そんなはずは無かった。


人ひとりの自己実現で会社環境が変わるなんて馬鹿な話はない。
そこにあったのは以前と変わらない日常でしかなかった。


「明日は交通安全で1時間前に集合なー」と誰かが言う。
時間に猶予ができた私は特にその誘いを断ることなく、プラカードを持って集合した。
そして何故か、今一度この会社で頑張ってみようかと思ってしまった。


しかし、私は重大なことを見落としていた。
私は、代償を払っていたのだ。


出世レースにリソースを全く割かなかった私は同期はおろか、後輩にまで大きく差をつけられていて、その差を埋める方法などなかった。
出世レースは「加点方式で大逆転」というお手軽なものではなく、年々脱落者が増えていく類のものだからだ。


私はとっくにその「脱落者」となっていた。


それでも、やれることをやってから考えようと素直に思っていた。
もう一度、会社員としての自分の可能性を確かめたかった。


-茶番-


私の拙い経験でモノを言わせてもらう。


大企業の工員の出世に最も重要なものは何か?
賢さ? 仕事の早さ? 忠誠心? 世渡り?


・・・否。 一言で言えば「茶番に付き合う能力」である。


真実や、論理や、合理性や、正義や、友愛、そんなものは廃材置き場に放り込んで、ただひたすらその場の権威に従い「茶番」を優先することである。

ズレた説教、虚偽に満ちた発表、他力本願な成果、合理性の無い精神論、同調圧力、挙げればキリがないが、これらの茶番を「是」として同調、演じてあげる度量が全てである。
間違っても「正論を言えば勝てる」とかアホなことを思ってはいけない。

私はその能力が低く、そんな大人にはなれなかったのだ。
私が「人生に風穴をキャンペーン」を粛々と進めている間、同期や後輩はしっかり茶番に付き合って実績を積んできたのだ。私のようなガキとは全然違う。


キャンペーン中は無理やり自己肯定しないとメンタルがもたないので、内心周囲の人間の多くをステレオタイプな会社員と馬鹿にしていた。しかし、真のバカは私であった。

私は邁進した。
会社での出世レースに今更乗ろうと。


結果

私より仕事も何もできない後輩に出世も負けるのが現実であった。


これが、現実であった。


この先の会社生活で明るくなれる材料なんて何もなかった。
「あいつは大したことないのに出世してさあ」と一生言い続けて会社生活をする神経は、とてもじゃないけど持てなかった。


-崩壊-


なまじ器用に何でもこなせると何でも仕事が飛んでくる。
飛んでくるだけ、そこまでならいい。


その時期は優秀な同僚が次々と職場を去り、配置転換があったころだった。
岩田さんという後輩が出世したので、職位の高い戦力は多かった。しかし、その岩田さんは仕事が苦手だった。
職場は実質的に戦力不足であり、職場の業務負担は私に一気にのしかかっていた。

私はとうとう「このまま続くと本当に辞めちゃいますよ?」と上司に言った。


その時はあまり意に介さない反応だった。


「会社の日常」であって、本気ととらえていないのだろう。

その次の日。
「最近不良品多いんだけど、なんとかならん?」上司の上司が言う。
「すみません、業務負担が重くて手が回っていません」私が理由を告げる。
「できないじゃ済まされんだろう」と続ける。
「何故私ばかり責められ、私より立場が上の岩田さんに仕事を任せないのですか?」と聞いた。
「あいつは、ほら、できんからさあ」「お前に期待してるってことなんだよ」

このくだりで何かが切れた。


仕事ができない高給取りのために頑張って働け、そう言われたことと同義だった。


お前に期待してる? 安い給料で奉仕することをか? 冗談じゃない。


「もう翌週から来ません」
そう告げて、その後この会社で仕事をすることは無かった。

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