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レンガの中の未来(七)

(七)天国の母


 小鳥のチュンチュンという囀りでシノーは目を覚ました。外は曇りである。シノーはいつもの習慣で早目に目が覚めたが、再びうとうとし始めた。

隣にはイリンがすやすやと寝息をたてている。頭に手をやる。あたたかい。額を撫でるとツルツルとした感触が心地よかった。明日もこうしていたいが、そうもいかない。

これからどの位こういう生活か続くのだろう。三か月みっちり働き、三日の休暇を取得する。今日で少しの間はイリンとはお別れだ。

シノーはイリンを起こさないようにそっとベッドから出、足早ににリビングに向かった。すると、テーブルではロギンと使用人が向かい合って何やら会話をしていた。

「スギシャン国の領主は?」

「ドリョーリン三世」

「では、ホドリンカ国の領主は?」

「タケシャリン十七世」

「まぁ、ちゃんと覚えているじゃない、すごいわね。」

シノーは目の前の二人に近づくと、敢て聞こえる声で挨拶をした。

「おはよう、早いんだね。」

二人はシノーに向かい、
「あ、おはよう。」

「おはようございます。」

と二人同時にあいさつした。
庭からは鶏の声が聞こえる。

「朝から勉強とはえらいね。何の勉強しているんだい?」

ロギンは、テーブルに幾つかの本をシノーに見せ、
「家庭教師の先生の課題の復習をやっているんだ。この前はイリンに負けちゃったからね。」

「そうか、朝から頑張っているんだね。」

「うん、あとは一昨日まで行っていた郊外学習の感想文をさっきまで書いていたんだ。川遊びや湖での魚捕りとかして、とっても楽しかったんだよ。だってね、パッソ先生ったらね、魚捕りをしているときに転んじゃってね、それでびしょ濡れになってね。」

「はいはい、そのくらいにして続きをしましょうかね。ロギン、次は書き取りをしましょうね。」

「分かった。」

ロンギは各国領主帳を横に置き、麻紙に書き取りを始めた。

「プランジーノ国はリョジン海に面し…」

すると、使用人はシノーに目配せをした。庭に出ましょうという合図だまもなくして二人は庭に出た。庭に出ると、使用人は木製ベンチに腰を掛け軽い腕組みをし、目線は足元にある石ころにあった。

シノーは使用人から何か話掛けられると思い待っていたが、数秒間の沈黙が続いた。その場を取り繕うように、シノーは自然に言葉を自身の口から発していた。

「朝からロギンは頑張っているんですね。」

使用人は、自身の頭上から発せられた言葉に反応するように、顔を上げた。

「ええ、ロギンの口癖は、イリンには負けないぞ、ですからね。」

「そうですか、ではあの二人は仲良くやっているんですね。」

「ええ、あの二人は仲良くやっていますよ。私には本当の兄弟みたいに見えますね。…只、成長するにつれて個々の能力に差が出てくるのは確かですね。まだ六歳ではありますが、客観的に見てイリンの能力は他の子供達を圧倒している気がしています。ロギンは他の子供と比べたらまずまずの能力を持っていると感じますが、イリンの足元にも及ばないでしょうね。」

使用人はふぅとため息交じりの息をした。

「これはシノーさん、決してお世辞ではないんですよ。イリンの能力が卓越していて、将来有望であることに揺ぎはないことと思います。それ自体は大変喜ばしい事ではありますね。イリンがロギンよりも優れている。ふうぅ。やや言いにくいのですが、一方でそれがこの家でどのような事を意味するか考えた事がありますか。そう、奥様のご機嫌を損ねる大きな要因になっている可能性があるのです。奥様は特にここ最近になって、何かと理由を付けてイリンに辛く当たっている傾向がございます。イリンはまだ幼いのでまだ中途半端にしか理解していないかもしれませんが、自我が確立しつつある形成段階である今、近い将来何等かの衝突は避けられないと考えています。」

使用人はそう一気に現況を話した。話の後半になるにつれその声は小さくなっていた。シノーの目線は、下を向きながらシノーと目を合わせずに一気に話し終えて使用人のほぼ頭のてっぺんにあった。

三つ編みのゴムがやや擦れていた。

「有難うございます、これまでそういうことは知らなかったので、現状が判り良かったです。昨夜は疲れてしまって、イリンとは余り会話が出来ていなかったんです。今日もこのあとすぐにこちらを発たなくてはいけませんでしたから。でも、どうして態々そういった状況を教えてくださったのでしょうか、もしや既に何か不穏な雰囲気があるのでしょうか。」

使用人はとっさに頭を上げ、
「いえ、そんなことはないですよ。あくまで私個人の感想を述べたまでですよ。さぁ、リビングに戻りましょうかね。朝食の準備はほぼ終わっていますから、イリンにも起きて食器準備をしてもらわないと。」
と答えた。

「はい。」
それは数分間の会話であった。二人でリビングへ向かった。

先頭はシノーであったが、使用人はシノーの後頭部に向かってごめんなさい、と心の中で呟いた。私にはこれが精一杯よ。私はここを追われたら何処にも行く所がないのよ。

 朝食が始まった。テーブルは六人用の長方形となっており、一方にノルギー・その夫、その一方にロギン・イリンが座るのが通常であった。

今朝はシノーがいるので、ロギン・ノルギー・その夫、その一方にイリン・シノーという配置となった。使用人の食事は皆の食事が終了し、片付けを終えてからとなる。

それもあってか、使用人はてきぱきと準備を終え、裏で控えていた。最初の数分間は皆黙々と食事をしていた。

その後、いつもは隣合わせで座っているロギンとイリンの眼が合い、小さい声ではあるがおしゃべりが始まった。

「今日は朝早く起きて勉強していたんだ。」

「そうか、僕は昨日兄さんと市場に行っていたんだ。その時お菓子を買ってきたから、後で一緒に食べようよ。」

「え、それってあそこの市場だよね。それってどんなお菓子なの?」

「噛むとお口の中でじゅわぁっとあまいのがでてくるやつだよ。それとね、二ビースしかお店の人に出さなかったんだけど、三ビース分のお菓子をもらえたんだ。三を二で割って一・五倍だね。それからね。」

その時だった。

「はいはい、イリン、もうその辺にしておいたら。スープが冷めちゃいますよ。楽しいお話は朝食の後でも出来ますからね。」

意外にもその声の主はシノーでもノルギーの夫でも、ましてや使用人ではない、ノルギーだった。

「わかった。」

「そうよ。お食事の時のおしゃべりは程々にね。」

そして、ノルギーはスプーンをテーブルに置いてポンと、軽く手を合わせた。

「あ、そうそう、そう言えばロギン。この前の課外学習のお話を母さんは殆ど聞いていないから、聞かせてもらえないかしら。母さん達はみんなが捕って来たお魚や持って行ったお肉を使って沢山の子供達の料理を作っていたのよ。」

ロギンは待っていましたとばかりに上半身をテーブルに乗り出し、一気に話し出した。

「うん、いいよ。とっても楽しかったんだよ。だってさ、これまで見たこともないような大きな湖の浅い所で魚を捕ったりしたんだよ。小さな船に乗せてもらう友達もいたんだけど、僕は手で魚を捕ったんだ。それにパッソ先生がね、隣で一緒に魚捕りをしていたんだけどさ、すべって転んでお尻がびしょびしょになったんだよ。」

「まぁ、それは楽しかったようね。そんなこと、普段できないからねぇ。夜はお友達と一緒に寝たのよね。」

「そうだよ、たのしかったよ。イリンも来ればよかったのに。」

その言葉でシノーのスプーンを持つ手が一瞬止まった。次のタイミングで横に座っているイリンの横顔を見た。

「…えっ?」

「…」

ノルギーは、二人を正面にスープを口にした。


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