永遠に還る
祖父が亡くなった。
死別という経験が人生で初めてだった私。
価値観に大きな変化が起こった。
とりあえず文字に起こしてみようと、
noteに綴ることにした。
私の祖父が決定的に体調を崩して
入院していた期間は2ヶ月くらい。
突然「なんで体がこんなにだるいのか」と
こぼすようになった。
ずっと長年やっていた花壇の手入れも、
全く力が無いように見えた。何かをする元気が
完全に無い、というような感じ。
手術をここ2、3年、度々しては入退院院
繰り返していたけれど、その時の祖父は
今まで見た祖父の中で一番弱々しかった。
1ヶ月前に手術をして退院したけれど、
またこれは入院しないといけないなぁ…と
私は祖父を見て思った。
また治して帰ってくるよなぁ、
そんな気持ちだった。
いずれ祖父は長くないと思っていたけれど、
それでも当たり前にいた存在の祖父の死を、
想像することはできなかった。
「じいじ、亡くなったって」
朝、目が覚めて起きたら母からそう告げられた。
夜中の15時頃亡くなったらしい。
けれど、昨日とそれほど変わった気持ちも
起こらなくて、何となく「そっか」と答えた。
一瞬、死に立ち会えなかった故の、ほんの
少しの悔しさが胸に浮かんだ。
「危篤なのに何で起こしてくれなかったの」
と母に聞いてみたけれど、
「間に合わないでしょ」と言われて
それ以上は言い返せなかった。
結局、母たちが病院に着いたギリギリで
亡くなってしまったらしく、家族の誰も
立ち会えなかったみたいだ。
でも意識のある内に何度も私はお見舞いに
行ったから、特に大きな後悔の念は
起こらなかった。ここ2日は亡くなるまで、
祖父は意識不明の状態だった。
悲しさも湧き起こらなくて、「死んだ」
という事実だけ認識しているような感覚で。
葬儀場の会館に向かう途中に、
妹に普通に話しかけるも、
「姉ちゃん、そんな無理しなくていいよ」
と言われたが、別に平常心だった。
逆に沈黙を決め込んで真顔で歩く妹を
不思議に思っていたほどだ。
実感は、まだ無い。
やっぱり私はまだ祖父の死というものに、
しっかり向き合えていないのかもしれない。
そんな不安がよぎった。
親族用の控室は、くつろげるような、
家に近い雰囲気だった。
ソファもあるし、テレビもある。
そこはまだ新しくて、綺麗な会館。
今の葬式場ってこんなに明るい感じなのか、と
驚いた。もう少し暗くて、怖いイメージを
想像していた私は、その控室の雰囲気が
気に入った。
さらに奥の綺麗な和室の部屋へと向かう。
その先に祖父がいるのだ。
「じいじ、来たよー!」と、祖父が
生きていた頃と変わらない挨拶をした。
まだ入院する前の元気な頃(といっても
弱ってはいる)なら「おぉー、来たかぁ」と
返ってくるところだ。
不意に目に飛びこんできたのは、壁に
「南無阿弥陀仏」と書かれた立派な掛け軸。
仏教風の光沢のある装飾が施された青い布。
そしてそれに包まれた布団の中で眠り続ける
祖父がいた。
突然、宗教性を帯びているその空間に、
….なんだ。なんか急に神様みたいじゃん。
昨日まで生きていたのに、人はこうやって
「仏様になる」のだなぁ、と宗教の文化に
私は感心したりしながら、布団の近くに
敷かれた座布団に座った。
そして、顔を覆おう布を外して、
じっと祖父を見つめてみた。
穏やかに、眠っているような表情だった。
私はもう一度、じいじ、と話しかけてみた
けれど、もちろん返事はない。
ふと、ついこの間の、何度もお見舞いに行った
時の祖父の顔がまざまざと思い出されて、
自然と涙が溢れてしまった。
「大好きだよ」と言って肩を揉んであげたら、
嬉しそうに微笑んでくれたこと。
呻き声が響く病室で、苦しさのあまりに
ひどく力んだ祖父の手を、必死に握って
あげたこと。
神様。あなたはどうしてこんな優しい人を
無情に苦しめるのか。心の中で叫んだ。
神という人智を超越した、運命と同義の
それを、恨むことしか私にはできなかった。
大好きな家族に、こんなに苦しんでほしくは
なかったのに。悔しくて、無力さを感じた。
もう、会えない。いくら会いたくても、
私をずっと可愛がってくれた私の祖父は、
目を覚ましてはくれないのだ。
祖父の胸からお腹にかけて乗っている
大きなドライアイス。
確かにこうしないと肉体は腐敗が進んでしまう。
でも、冷たくて、重いだろうな。
じいじは冷え性で寒がりだったから、
寒いだろうなぁ。
もう亡くなっているのだから、
そんなこと関係ないはずなのだけれど。
2ヶ月間、誤嚥性肺炎の痰の吸引で
ずっと苦しそうにしていたのを見ていたから、
穏やかな表情に少しホッと安心した。
肩にそっと触れてみた。死後硬直はまだ
起きていないのか、意外と柔らかい。
家にいる時、入院中も何度も揉んであげた肩。
でもここ数年は「肩揉んでくれやぁ」と
言われても、ずっと体調を崩していた私は、
「あとでねー」と返し、結局揉まないことも
多かった。どうしてもあの時は自分の体が
しんどかった。
後悔ではないけれど、でも、揉んであげれたら
よかったのに、という後悔に似た気持ちが
浮かんでくる。
2ヶ月間祖父が苦しんだ苦しみに比べたら、
私の体調不良なんて比にならないのに。
そういえば祖父は、私の体調をいつも
心配してくれていた。喉の筋肉が落ちて、
声を発せなくなっても自分の体と私を指さして、
ジェスチャーで「体調はどうか」と
聞いてくれていた。「今日薬を変えた」とか、
「大丈夫だよ」と言うと、納得したように
頷いていた。自分の方がよっぽど
しんどかったはずだ。人生で一番の、
想像を絶する苦しみだったと思う。
それなのに、なんて優しい人だろうか。
落涙してしまう。
なぜか人は死んだら肉体は軽くなる、
水分が抜けるようなイメージを勝手に
持っていたのだけど、そうでもなかった。
額に触れたら、脳髄の重み、肩には筋肉と
骨の存在もちゃんと感じた。
でも、やっぱりその体は、「物」だった。
小6の時に初めて感じた、死への強烈な認識を
思い出して、頭の中で哲学的な自問自答が
始まる予感がした。
考えないようにしていたはずなのに。
生きることに永遠は無かったということ。
私はしばらく、静かに泣いては止み、
泣いては止みを繰り返した。
何度か水を飲んだり、お菓子を食べたりして
その場を離れたりしたけれど、
また祖父の側に戻ってくる。
そして祖父の顔をずーっと見ていた。
家族に「やめなさい、おじいちゃんが疲れる
でしょ」と注意されたけど、やめなかった。
なぜか、そうしていたかった。
「いいの、飽きないの。それにこうしていると、
じいじと話をしているような気がする」
と答えて、引っかかった。
ん?いや….話をしている、とも違う。
なにか、不思議な感じがした気がする。
もう一度、祖父の寝顔を見てみた。
…やっぱりおかしい。これは何だろう…?
祖父と一体になっているような、
私が祖父で、祖父が私のような────
上手く瞑想できた時のような、余計な考えも
感情も浮かんでこない。ただただ。
だんだん深くなっていく。
全てと繋がっている感覚。
境界の認識が曖昧になっていく。
…ああ、そうか。
生も死も、同じ場所にあるんだな、と思った。
確信めいた思いで顔を上げ、ゆっくり周りを
見渡した。真っ暗な空間。座る私と、眠る祖父。
それを中心に延々と広がってゆく水面の波紋。
無限に続く────静寂の世界。
これが、死。
ふと気づくと、ちゃんと元の和室にいた。
心象風景だったらしい。
後から「自分の世界に入っちゃだめ!」と
注意されたが、別にこれを悪いとは思わない。
今考えても、その時は死に触れて、
スピリチュアル的な感覚が強くなっていた
気がする。難しいけれど、精神分析学でいう、
心理学者ユングの「集合的無意識」のような
感覚だった。
「実は人間誰しも、意識の根底でみんな
繋がっている」っていうやつだ。それに近い。
だからつまり、それでいうと...
今ここにいる家族とも、あの友達とも、
私の意識は無意識下の深い場所で
繋がっていることになる。
あり得ない!と言いたくなりそうなことでも、
それを考える時の喜びと言ったら。楽しい。
宇宙が一つの生命だとしたら、全部一つで。
一つ一つの生命が、宇宙生命としての片鱗とも
呼べる性質を有していたっておかしくない。
(ここまで考えていて、
私は、昔読んだ手塚治虫の「火の鳥」に
登場する「宇宙生命」(コスモゾーン)の概念が
思い出され、一種の信仰心が芽生えた。
分からない人は是非読んで欲しい。)
私達が当たり前に感じている「自己と他者」と
いう境界が存在する認識は、所詮一つの意識
段階でしかないのだとしたら。すごいと思う。
私は祖父と「繋がった感じ」がしたから、
死者にもその集合意識はあるのか?とか、
もう訳の分からないことを考える羽目になった。
勘弁してほしいけれど、こういうことを
考えずにはいられない日だった。
ブッダとかキリストとか、叡智に至った
人間はこの意識段階を常に保っていたのかも
しれない、と思う。
確かに悩みも不安も、あの場所には無かった。
マインドフルネスが上手くいった時のような、
とても安心した、落ち着いた気持ちで、
死はそんな怖くないかも、と思ったりした。
私達に向けている左側の顔の表情はとても
穏やかだったから、それほど死が怖いとは
思わなかった。けれども、その時私はふと、
反対側の表情が気になった。後ろへ回って
祖父の右側の顔を見てみた。その瞬間、
ついさっきまで安心感でいっぱいだったはずの
胸に、死に対する強烈な不安がさっと差した。
右目の周りには苦しさと疲れの色が明らかに
滲んでいた。口元も。これじゃあ、どちらが
祖父の本当の死か分からない、と落胆した。
どちらが、本当なのか。
人は死後、死後硬直の後に筋肉が弛緩して、
自然と死に顔が穏やかな表情になるという
ネットの情報も目にして、またがっかりした。
一度確信を得たはずのそれは、急速に自信を
失っていった。
そこでその夜、「祖父が亡くなった時、
どのような表情をしていたのか」と家族に
聞いたら気分を害してしまったようで、
叱られた。どうやら、やはり苦しんだような
表情だったらしい。
私は自分の疑問をすぐ解消しようとして、
無神経に捉えられる発言をしてしまうことが
よくある。確かにそのタイミングでこの質問は
良くなかったのかもしれない、と反省した。
それでもその時、どうしても。
私は「死」を解釈しようと必死だった。
この経験を糧に、これからの人生における私の
死生観を、なんとしてでも確立しなければ、
という焦燥に駆られながら。
2に続く。
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