Tauria

普段自分が考えたこと。日常など。気まぐれに。

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最近の記事

ボールペン字!を極めたい

今年2月、好きだったミュージカルの、 とある俳優に手紙を送った。 その後も遠くに住む叔父や、 地元の友達に誕生日祝いの手紙を書いたりした。 このデジタル主流の社会で、私はアナログの 魅力に気づいた。手書きの文字の温かさ。 LINEなどのメッセージのやりとりと違って、 長文でもおかしくないところ。 相手を想って、言葉を考えて、一文字ずつ 紙に置く。手間がかかる分、思いっきり、 自分の思いを書ける。 こんな昔ながらの動作は、普遍的でありながら 新鮮な感情を伴っている。 そして、風

    • 起立性調節障害ってさ。中学編

      最初についた病名は起立性調節障害。 或いは自律神経失調症。 サブタイプは体位頻脈性症候群。 又は心身症。 或いは、機能性身体症候群。 病名、言い方を変えようが、 指してるものは同じなんだけど。 4年前に新中学3年生になった。 当時、世間はコロナ禍になった頃。 4月末、異様に春の暖かさが気持ち悪い。 なぜだが、ちょくちょく続けている ジョギングの足がものすごく重い。 上手く走れずに、足が上がらなくて 立ち止まってしまう。何か変だ。 これがコロナの「倦怠感」ってやつ? 怖くなっ

      • 永遠に還る 2

        死とは、何だろう。 
実存的な問いは一度考え始めると、 
根源的な底の見えない不安に駆られる。 
それは、人生で初めて経験したホームシックの 時のどうしようもない感情の渦だったり、 幼い頃の夜、ブラックホールのことを 考え出した時の感覚に似ていると思う。 でも、確信めいた思いを私が抱いていたのも 事実だった。 

人は死んだら、「無、或いは全て」に還る。 

これが現時点での、仮定的な結論でありながら 
確定的、とも呼べる自身の最適解だった。 
言っておいてだが、死などに

        • 永遠に還る

          祖父が亡くなった。 
死別という経験が人生で初めてだった私。 
価値観に大きな変化が起こった。 
とりあえず文字に起こしてみようと、 noteに綴ることにした。 私の祖父が決定的に体調を崩して 入院していた期間は2ヶ月くらい。 
突然「なんで体がこんなにだるいのか」と 
こぼすようになった。 
ずっと長年やっていた花壇の手入れも、 
全く力が無いように見えた。何かをする元気が 
完全に無い、というような感じ。 
手術をここ2、3年、度々しては入退院院 
繰り返していたけれど、

        ボールペン字!を極めたい