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憂鬱と不穏とフライドポテト

一枚の絵。霧の中で踊る幽霊のよう。楽しそうには見えないが、悲しそうとも違うような。その絵の前でしばらく立ち止まる。ふわふわ、ゆらゆら、まどろみのような、漂う不安定な気持ちのような。儚さと揺るぎなさ。両方を同時に強く感じた。

肺転移と大腸局所再発を告げられた。何かをしていないと落ち着かない。そんな日々が続いている。嫌な夢は毎日見るし、頑張るぞ!と頑張れないよ、がせめぎ合っている。忙しい。痛みと苦しみは恐怖だ。死ぬことより私は怖い。終わらぬ地獄がこのあと続くのではないか、と密かに怯えている。死ぬ時には終わるのだろうけど、それってどのくらいの期間なのか。答えのない思考のぐるぐるに陥る。

先週のこと。夫に誘われて東京都現代美術館へ行った。「MOTアニュアル2024こうふくのしま | 」は4人のアーティストの展示。冒頭の写真は庄司朝美さんの作品。亡霊のような人のような存在と、山や木の自然、動物などが描かれる夢のような雰囲気の作品が多かった。


これ、左の人は楽しそう

ああ。入院中この絵に囲まれたい。術後のあのなんとも言えない時間の中、これを見て痛みに耐えたい。この作品と時間を共にできたら、乗り越えられそうな気がする。決して明るいだけのエネルギーを纏った作品ではないのだけれど。不穏が癒しになることってあるんだな。

美術館を訪れるとき。作品からオーラを感じる瞬間があって。中でも、それが自分の「なんか好き」と共鳴するとき、私は自由を感じる。心が開放されて、新しい刺激にワクワクする。私も自己表現を何かでしたい!と思う。生命力が私の中からぐんぐん湧いて生きる希望を感じる。MOTアニュアル2024こうふくのしま | 展覧会 は、どの作家の作品からもそれを感じた。がんを、病気を忘れるのではなくて、共存しながらも希望を感じた。生きる、ってこういうことなんだ、なんて言葉にするとてつもなく恥ずかしいが、そんなことを思った。

臼井良平さんの作品は、ペットボトルやプラスチック製のボトルなんかをガラスで表現していた。近くでじっくり眺めると確かにペットボトルじゃない!?と驚く。

キャップもガラス。
どのくらいの重さなんだろうか。
パンの袋を留めるやつ!!これもガラス!
当たり前だけど、これ弾ませようとしたらガッシャーン!となるんだろうなあ。
やってみたい。うずうず。
これもガラス。落ちないか心配。

このフェンスの展示は、一番奥に目薬の作品がある。それを見落としていて、じっとパンの袋を留めるやつを「これゴミじゃないよな。ていうか、これガラス?これはただ単にペットボトルをそれらしく見せるための演出で本物のプラスチック?」などと夫とぶつぶつ言っていたら、スタッフの方が「これもガラスなんですよ。見えませんよね。ちなみに奥にある目薬はみました?」と話しかけてくれて存在に気づいた。ありがたい。

清水裕貴さんの作品も美しかった。そしてこれもまたほんの少し不穏。プロフィールを見たら、小説家でもあるそう。小説の取材を兼ねて行った先での写真らしい。

美しいけど怖さもある

夫が一番良かった!としきりに言っていた川田知志さんの大きな作品。全体が撮れなかったのだけれど、四方全体がこの壁画。近づくと塗装の厚みがわかって面白い。

東京都現代美術館は相変わらず教授(坂本龍一)の展示が人気のようで、そちらは大行列でした。
久しぶりの二階のサンドイッチでコーヒーとクッキーを食べた。

美術館の帰りに最近お気に入りの「だるま - 清澄白河/居酒屋」に寄った。
瓶ビールとポテトで展示についての感想を語らう。隣の常連さんらしき男性の、ハムエッグ(両面焼きとオーダーしていた!)が美味しそうで途中心を奪われる。反対隣のお兄さんはポパイベーコンを食べていて、これまた良い香り。ああ、次はあれを頼もうかなあ、と一瞬思うが次も私は揚げ物を頼むのでしょう。

結構たっぷりのポテトフライ。あと肉豆腐を食べました。

瓶ビールでほろ酔いになった私は、庄司朝美さんの作品を思い浮かべ、憂鬱と確かに折り合いをつけてふわふわと心地よくなっていた。

主治医から治療方針決定の電話が来た。
3/13に1回目の手術を行うこととなった。


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