姉の入院と読書とピンクちゃん
昨日自宅で読書をしていたら東北の実家に住む妹から電話があった。
透析をしている姉のシャント付近から出血があり、それがなかなか止まらないと。透析通院している病院へ出向いたが、止血がうまくいかず、受け入れ先を探している最中だと。
結局、県内ではあるが自宅からかなり距離のある病院へ搬送が決まり、
そのまま手術となった。
当初、パニックを起こしている母から正確な情報が得られず、てっきりシャントの再増設手術かと思いきや、シャント付近の血管からの出血が判明。人工血管の増設手術だとわかったのは、だいぶ後だった。
妹から聞いた話では、母はいつもお世話になっている病院に怒鳴り込み、対応している看護師さんを煽り、怒鳴り散らし、処置を急かしたらしい。
これは想定内の出来事。
妹は仕事があったため、全ては母自身から聞いた情報なので、実際はもっともっと酷かったのかもしれない。いや、そうに違いない。
本当に、病院の皆様には申し訳ないと思う。毎度のことだけれど。
母が随時妹へ状況報告をしていたのだが、妹の相槌がそっけなく聞こえた母は妹にも怒鳴り散らしあたり、悲惨だったようだ。これも想定内。
妹と連絡を取り合い、妹を労い、母から正確な情報が得られないことにお互いため息をつき、夜やっと全体像が見え落ち着いた母から情報を聞き出せたのでした。
きっと、姉も姉で入院先の病院でトラブルを起こしていることでしょう。
まあ命に別状はなさそうだし、簡単な手術だったようなので、ほっとした。
安心したが、母や姉がぎゃあぎゃあ騒いで迷惑をかける様子が頭をよぎり、いや、
頭から離れず、ため息が止まらない。
だから、思いっきり夕方からYouTubeでエクササイズした。筋トレと有酸素。ヨガにストレッチ。思いっきり動いて汗をかいた。自分の体にもいいし、汗をかいて気分爽快だし、運動中は余計なことが一瞬でも頭から離れるし、最高。
30分程度の至福時間。
夕飯は鶏胸肉とハーブウインナーを焼いた。この前買った鉢のローズマリーも活躍させた。簡単なサラダと枝豆を解凍して白ワインも飲んだ。
ふう。
村上春樹の「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」をまた読み返している。つくるが仲良しメンバーから冷たくされるところが、なんとも気の毒。そして食事も摂れなくなっていく様子もセットで胸が痛い。それでも、なんだかこの小説は読んでいて気持ちが落ち着く。
たくさん面白い小説はあれど、「繰り返し読みたい」が私の中では最強かもしれない。
次に、「手元に置いておきたい」が続く。繰り返し読むのはヘビーだけど、この世界観が好きとかそういうの。手放せない、本棚に置いておきたい、とかそういうの。
最近読んだ本といえば、おおたわ史絵さん「母を捨てるということ」が衝撃的だった。図書館で見つけてタイトルに思わず目が止まり帰宅後一気読みした。
実のお母さんから受けた言動、お母さんの薬依存に買い物依存、お父さんを含めた家族関係。自身が負った心の傷。
有名な方だからこそ、顔を出した上でここまで家族のことを書いていることにまず驚くし、文章の読みやすさ、客観的視点、その中にも自分を追い込んだ視点も感じられ、気になる箇所は戻っては読み、繰り返し読み、と一気読みの中でも反復する過程があった。
今はプリズンドクターとして刑務所にも出向いているというのにも驚いた。
「贖罪」と考えている面もあるそうだ。その言葉の重さにも胸がヒリヒリする。
他の人が羨ましく思えることがある、
というような表現が文中にあり、私は安心した。
私もそうだったから。
家に帰ることに不安がなく、食べるものに困らず、学校で使用するものや毎日の服にも困らず、親の日々の機嫌を気にする必要がない人たちがとてもとても羨ましかった。
それ自体は彼らが悪いわけではないのだけれど、
それでも、
学校で言われたものを用意できなかった時、給食費を持っていけなかった時、給食着を洗って持っていけなかった時、毎日同じ服を着るしかなかった時、
それをいじられたり、意地悪く言われたり、笑われたり、みんなの前で笑いのネタにされたり、見下したような態度を取られた時、
そりゃあ頭にくるし、バチがあたればいいと思ったし、コックリさんよろしく頼むよ!!!と必死に願うよ当たり前じゃないか。
(コックリさん、昔あんなに流行ったけれど、今ってどうなのかしら?令和の子供達はああいうことはしてないのかしら?)
おおたわさんの本を読み、昨日の姉の入院にまつわるあれこれを聞いた後、
私の中でいろんな思い出がぶわああああっと溢れ出した。
「人と自分を比べることは良くない」と最近よく聞く。
本当にそう思うし、できることなら比べたくない。
それでも。
人と違うことで指摘され嫌なことをされたら、そりゃあ比べるわよ。それでも、比べないってかなり強靭な精神よ。神様じゃないのよ。嫌なことをした方は覚えてないだろうけれども。こっちからしたらこびりついてるわよ。
今更あやまられても、そんなの許せないし。
おおたわさんの、その部分の文章を読んで、力が抜けた。
人と比べて嫌な気持ちになるのは避けたい。
でも、比べてしまうことを否定するのはやめようと思う。
子供の頃の私を否定するような気がして、それはもっと辛いから。
おおたわさんの本を読んで、中高生の頃を思い出した。
少ないお小遣いで、ファッション雑誌を買い、後ろのページに書いてあるクレジットを読み漁り、好きなテイストのお洋服のブランドを調べ、色の組み合わせを考え、スクラップして自分の好きを集めていた。雑誌を買うときも本屋さんでしばらく立ち読みして何を買うか厳選し、買った雑誌はくたくたのヨレヨレになるほど繰り返し読んだ。
お金を持っていて服を買ってもらえて流行りの服を着ている子たちよ、
いつか見ておれ。私の方が絶対におしゃれになってやる!
と本気で思っていた時期があった。
恥ずかしいくらい切実に、周りとの違いと戦っていた。
過去は過去で、今現在ではない。
過去は変えられない。
だけれども、過去の自分を「あんたよくやったよ。偉すぎる」と労って認めて慰めていかないと。
過去の自分がブワッと出てきた時に、蓋をしていてはいつまで経っても辛いだけ。
いや、労わって認めて慰め続けても、時折過去の自分はブワッと出てきちゃって、その都度「あー・・・」って落ちるんだけれども。
それでも、何度も何度も労わって、認めて、慰めたい。
子供だったんだもの。
それだけ深く傷ついたんだもの。
自分を愛していこうと、決して口には出せない恥ずかしいことを、ここ最近真面目に思うのです。
おおたわさんの本は読みやすく、ストレートでおすすめです。
先日、お友達と表参道へ。可愛いものをたくさん見て、おしゃべりした。
お互い40代を迎えても、好きな服は好きなように着ていこう!ということで盛り上がる。
カフェでお茶をしていた時、お友達の斜め後ろにいらした金髪の外人マダムがスッキリとした黒の装いに黒のコンバースでかっこよかた。髪の毛は後ろの下の位置でお団子にまとめ、ブランドものと思われるこれまた黒のバッグを無造作に床に置いていて、それがまたかっこ良い。
そして、昨日は週1モーニングでいつものドトールへ。
いつもモーニングで見かけるマダムは、ベージュのキルティングジャケットに茶色の膝丈スカート、茶色のローファーだった。バッグはいつものルイ・ヴィトンのダミエ(中が赤)。この日もマダムは抜かりない。そしていつものミルクティーにトースト。
他のお客さんが、アップルパイを温めてもらっていてすごーく良い匂いだった。
また親子連れのお嬢さん(中学生かな?)が、ミルクレープを食べていてそれもまた良い風景だった。
朝の甘いものって心が穏やかになる気がする。見ているこっちまで穏やかに。
ヘッダーはガチャガチャで出てきた可愛い子。最近のお気に入り。
この両手が好き。
「いぇーーーーい!!」
っていう気分になる。ゆるいのにノリノリな雰囲気。
ピンクちゃんと呼んでいます。
あっついコーヒーが美味しい季節になってたなあ。
今日は仙太郎の「やきいも」というお菓子にコーヒーを合わせていただきました。
和菓子にコーヒーの組み合わせに最近ハマっています。