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何年か前に読んだ本で、ひすいこたろうさんの著書『あした死ぬかもよ?』のP133に鹿児島県の知覧にあった特攻隊基地での実話が書かれていて、強く心を打たれたので紹介します。

(文章が長いので私が所々抜粋しながらあらすじを書くので原文とは違います。)

昭和20年沖縄海域にアメリカ軍が集めた戦艦は1500隻以上、兵力はのべ54万8000。
日本の守備隊は8万6000。
もし沖縄が落ちれば本土九州は目と鼻の先。
なんとしてでも死守しなければ本土に乗り込まれる。
そこで編み出された戦法が特攻と言う体当たりによる自爆。
飛行機一機の犠牲で相手の航空母艦や戦艦を沈める方法。

少年兵の訓練は過酷を極めていた。
若い子は14歳で親元を離れて厳しい生活を始めた。

特攻隊員達はアメリカ軍に見つからないように森の中に点在する三角兵舎と呼ばれる宿舎で最後の一日を過ごした。
形見を渡したくても何もないので最後にふみしめた小石を手に取りお世話してくれた人(富屋食堂のトメさん)に渡し飛び立っていった者。
「死んだらホタルになってここに戻ってくるよ」と面倒をみてくれたトメさんに言い残していった者。
たくさんの若者が飛び立っていった。
・・・・・・特攻隊で亡くなった若者の人数は4400人。

いつか死ぬ身であるならば、今最大の国難に立ち向かうことで愛する人を守れるのではないかと彼らは希望を描いた。

その中に少年非行兵の教官だった藤井一中尉の忘れられない話がある。

教え子達が次々に死んでいく。
しかし、教官の自分は安全な場所にいる。

「日本が大変な時に自分は教えるだけでいいのか?」
藤井中尉の自問自答が始める。

教官の藤井中尉には妻と子供がいた。
自ら特攻を志願すれば永遠に妻子とは別れることになる。

妻は特攻に行くのは大反対で来る日も来る日も、夫の志願を思いとどまらせようとした。

でも、中尉の選んだ答えは教え子に対して

「お前達だけを死なせない!」

命を投げ出す特攻の道だった。

(しかし、面倒を見なければいけない家族が多い将校は特攻に採用されないのが原則で志願は却下されてしまう)

夫の固い決意を知った妻の福子さん(当時24歳)は
「私達がいたのでは後願の憂いになり、思う存分の活躍ができないでしょうから、一足先に逝って待っています。」

と言う遺書を残して3歳間近の長女一子ちゃんと生後4ヶ月の次女千恵子ちゃんに晴れ着を着せて、極寒の荒川に身を投げ命を差し出した。

妻子の死を知り、藤井中尉(当時29歳)は今度は指を切って血染めの嘆願書を提出。
ついに特攻志願が受理されることになった。

藤井中尉の亡き我が子への遺書が残ってる。

「12月になり冷たい風が吹き荒れる日、荒川の河原の露と消えた命。
母とともに血の燃える父の意志にそって一足先に父に殉じた、哀れにも悲しい。
しかも笑っているように喜んで母と共に消え去った幼い命がいとうしい。
父も近くおまえ達のあとを追って逝けることだろう。
必ず今度は父の暖かい胸で抱っこしてねんねしようね。
それまで泣かずに待っていてね。
千恵子ちゃんが泣いたらよくお守りなさい。
ではしばらく、さようなら。」

戦後空母で銃撃を担当していたアメリカ兵が富屋食堂を訪ねて来てある日本兵の話を始めた。

次々と飛行機を爆撃していく日本の飛行機があった。
(これはまずい)とそのアメリカ兵は必死の攻防の末、その飛行機を打ち落とした。

しかし、飛行機は墜落する水面すれすれの状態で急旋回して、アメリカの空母目がけて横から攻撃してきた。

「なんと言う執念」とそのアメリカ兵の記憶に残っていたらしい。

その飛行機の乗っていたのは二人組だった。

その日、二人組で出撃したものを調べてみると、
それは、・・・・・藤井中尉だった。

私はかなり前から鹿児島県の知覧から多くの若い特攻隊が命を落としたことや、ホタルになって戻ってくるよと言った少年兵の話は映画や小説で知り、映画を観ては泣き、小説を読んでは泣いてその都度色々なことを考えさせられることが多かった。

今回も藤井中尉と妻や子供達の話を知って、
教え子達が次から次へと死んでいく中で、自分だけ安全な場所で生きてなんていられないと言う強い思い。
でも、自分には愛する妻と子供達がいる。と言う葛藤・・・。

そんな状況の中で苦しみもがきながら最後に出した答は教え子達とやっぱり共に特攻に行くと言うこと。

奥さんもどんなに辛かっただろう・・・。

誰だって最愛の人を失いたくない。

でも、最後には愛する人の志の為に、奥さんも子供達と共に命を懸ける。

今、こんな平和な時代に生まれた私に、その方々の辛さや苦しみなど本当にわかるはずもないけれど、
そんな素晴らしい方々がいてくれたお陰で、私たちはこうして「今」生かされている。

命のリレーはずっと、ずっと、続いている。

生きたくても生きれなかった人たちの為にも、

日本の素晴らしい未来を信じて、
命を懸けて生きてくれたすべての人たちに感謝して、
今、生かされている命を大切に使わせてもらおうと思う。

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