治療開始
こんばんは、侘寂です。眠れない夜になってしまったので更新することにします。毎度毎度母の病状をせきららに綴る場所になってきていますが、忘れたくないこと、記しておきたいことがたくさんあるので今回もまたそんな記事になります。
さて本日、生検の結果と共に今後の治療方針について主治医から説明を受けました。最も恐れていた「膠芽腫」であること。これから、放射線と抗がん剤の治療を約6週間ほど行うこと。それがひとつの山場となることを説明されました。
ある程度覚悟をしていたとはいえ、膠芽腫、という名前が書かれた書類を見た瞬間、一瞬意識が遠のきかけました。先月末までは元気に遊び歩いていた母が、まさかそんな重篤な病を抱えているとは、今でもたまに夢なんじゃないかと思う事すらあります。
わたしが親元を離れて10年以上になりますが、ようやっと母と父は夫婦二人の時間を謳歌しはじめ、色んなことにチャレンジしはじめた頃合いです。わたしもショックですが、何より母が、父が多大なショックを受けています。
確り説明は受けたものの、母の表情には不安が宿っていました。ここ最近、目立った症状の変化はないものの、MRIやCT画像を見せてもらうと、確実に大きくなっています。ほんの2週間の間に、目まぐるしく成長しているのです。
膠芽腫は進行の早い病だと書いてあったので、きっとそうなのでしょう。先週、唐突に母の右目が見えなくなるアクシデントもありました。薬を処方され、すぐに元通りになったものの、調子が悪いようで、時折脳がむくみはじめているのです。
心のどこかで、まだ希望があると思っていました。治療をすればある程度は持ち直し、再発するにしてもゆっくりと過ごす時間が確保できれるのではないかと。
けれどそれはもしかしたら、叶わぬ夢になるのかもしれません。調べれば調べるほどに、膠芽腫という病は未だ謎が多く、そして生存率も恐ろしいほどに低い病のようです。
今は、微かなパーセンテージに縋るほかありません。また、今日からはじまった抗がん剤、放射線治療にゆだねるほかないのでしょう。祈るばかりの日々が始まります。とてもつらく、痛ましいです。少しでも長く日々を生きられるよう、支えようと思っています。
ようやっと治療が始まる安堵感で、母の顔にも笑顔が戻り始めていた矢先、振り出しに戻ったような、あるいは、マイナスの状態に差し掛かったような心持です。何とかならないのだろうか。夢なんじゃないだろうか。そんな風に時々現実逃避しながら、情けないことに人目のない場所で泣く日々を過ごしています。
母は、今のところ今まで通りのようにも思えますが、元気だったころにくらべて底抜けに明るく話はじめたり(普段は笑う事も多いですが、クールな性格の人です)、同じことを何度も繰り返す、話したことを覚えていないなどの微かな症状が見え始めています。
時折、道順が急に分からなくなったり、前述した通り、今は処方された薬のお陰で落ち着いていますが、脳が浮腫んで視野に影響が出始めたりしています。元気に過ごしていたころとはやはりどこか違うのだな、と。小さなことに少しずつ違和感を覚えながらも、面会に行って取り留めのない話をしたり、母が好きだと言っていた焼き菓子を焼いて持って行ったりと、できるだけ暗くならないよう支えられるよう、自分なりに努力をしています。
これからどうなるのだろう。膠芽腫は人によってさまざまな症状が出るようです。どんなふうに変化をしていくのか、日を重ねなければ分からないというのがもどかしくてたまりません。
また、治療も、順調に6週間を終えてくれるのか。腫瘍はどれほど小さくなるのか。再発までの時間はどれだけ残されているのか。あてのない旅がはじまったようで、不安だけが募っていきます。
不安は多いですが、母が少しでも。仮初だったとしてもいったんは元気になり、無事退院できることを祈っています。