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不妊治療、無期限お休み中
「将来の夢は何ですか?」
子どもの頃、先生に質問されて困った。
その質問は『仕事』について聞かれているのと
恐らく同義だったから。
私には将来やりたい仕事が無かった。
というより
いくら考えても「仕事」というものに
興味が沸かなかった。
それでも何とか考えに考えて
「母親になって、家族を幸せにしたい」
という願望にたどり着いた。
「将来の夢」について尋ねてくれる人は
多分 “そういう答え” を聞きたいんじゃない
ということくらいは
子どもの私にも分かったけれど
まぁ、それは私にとって
とても誠実で正確な返答だった。
あれ、子どもができないぞ。
結婚して数年経っても妊娠する気配がない。
というわけで、夫と
近所のクリニックに行ってみた。
検査の結果、あっけないほど簡単に
不妊の原因であろうことが判明した。
ショックとかそういうのは無かった。
人工授精を数回してから
あっという間に
顕微授精に挑戦することになった。
不妊治療で辛かったこと
体外受精や顕微授精にはいろんな辛さがある。
大量の薬の服用とその副作用
通院回数の多さ、仕事との両立
高額な治療費
精神的なストレス
ぱっと考えてこれくらい。
私の場合はなんといってもメンタルに自信が無い。
(こちとらお豆腐メンタル1級のHSP&INFJ-T)
受精卵が着床しなくて凹むのはもちろん
薬の時間がちょっとズレては凹み
栄養価の低い食事をとっては凹み
高温期なのに体温が少し下がっても凹む
ただでさえ心配症でストレスを抱えがちなので
毎日自分の心に
「今、私の心は大丈夫?」
と問いかけながら注意深く続けた。
「大丈夫、全然平気」
幸運なことに、
私は薬の副作用がほとんど無かった。
内診も何回も経験して平気になった。
仕事もしていなかったからいつでも通院できた。
注射も苦手じゃないから、
痛いけど、まぁ一瞬我慢したら平気だった。
貯金も少しはあったから、なんとか。
治療の度に自分に問いかける。注意深く。
「今、私の心は大丈夫?」
“大丈夫、全然平気”
「今、私の心は大丈夫?」
“大丈夫、これくらい平気”
「今、私の心は大丈夫?」
“大丈夫、うまくやれてる”
こんな問いかけを繰り返して数年。
いつも通り痛い注射を受けて
いつも通り“全然平気”と頭に浮びかけたその瞬間
“私が可哀想!” と、心が叫んだ。
本当は辛かったんだ。
内診だって大量の薬だって
我慢できるけど痛い注射だって
血液検査のちょっとした数値を指摘されるのも
自分の身体を差し出した検査も採卵も。
我慢はできるけど、全部辛かった。
何より、“大丈夫”と自分を偽るのが辛かった。
とりあえず、休もう。
今回の移植が終わったら治療を休もうと思った。
(実はその移植で妊娠するも
あっけなく9週で流産し私は大いに泣いた)
とりあえず、休もう。
小さい頃から
母親になることしか考えたことがなく
ママチャリに子ども3人くらい乗せて奮闘する
たくましい母親に憧れていた。
昔mixiの自己紹介にも
“母親になって家族を世界一幸せにする”
と胸を張って書いていた。
母親にならないってどんな人生なのか
全然イメージが湧かなかった。
治療再開したければ、また始めれば良い
不妊治療をお休みしたのは34歳。
もし子どもが欲しくなっても
まだまだ再開できる年齢だ。
そんな感じで、
恐る恐る子どものいない人生を歩き出した。
不妊治療を無期限お休みしてもうすぐ5年。
私は今年39歳になる。
やっぱり子どもが欲しいかも、とか
絶対思うんだろうなと思っていたけど
不思議とその考えは未だ浮かんでいない。
多分私は、不妊治療を辞めたんだと思う。