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海を見に行くことと、感情的吃音のこと②

感情的吃音

感情はいつも遅れてやってくる。心の琴線に触れようとするなにかと相対しても、そこに生まれた感情の足音はまだ小さく、遠い。結局私がそれを言葉で表現するまでは、その情動のかたちを捉えることはかなわない。私はそれを感情的吃音と呼んでいる。私をとりまく内面的世界の時間は、外側の時間と若干の時差をおきながらゆっくりと流れている。しかし、私の人生のうちにはそれら二つの世界がなめらかに接続し、即時的な感情の惹起を自覚することのできる瞬間というものがあるようだった。 

○忘れられない瞬間

「もうこの犬は永くないね、フィラリアに罹ってら。」
祖父を訪ねてきた初老の男が、私の愛犬プラをみてそう言い放った。

ーは?

瞬間、身体の内側で何かが弾けた。間髪入れずに右腕が反応する。私はソファーに座っていた男の派手な緋色のスカーフに手を伸ばしていた。考える暇はなく、それほとんど反射的な動作だったが、動作の目的を完遂するという確固たる意志によって行われていたことは確かだった。
異変に気づいた祖父と目が合ったとき、私は自分が何をしようとしていたのかを自覚し、即座に手を下ろしたので場は何事も無く収まったが、当時は自分の情動にただ驚くことしかできなかったのだった。

しかしこの高慢ちきな男はずけずけとものを言う。どうしてこんな男がじいちゃんと懇意にしているのか、それはわからなかった。

結局人間歳をとって死に近づくにつれて、命の重さみたいなものがちょっとばかり軽く視えるようになるんだろう。己の死はともかく、他人の死までもが静かに、しかし確実に生活を侵していくのだ。死が日常的な事実となっているからこそ、この中途半端に歳を食った男はそんな無遠慮で厚かましいことが言えるんだろう。それが年寄りの悲しい性なんだろう。ぼくは男に聞こえるか聞こえないかくらいの小さい舌打ちをしてその場を離れた。実際、プラは私が小学校低学年の頃からうちにいるのでもう既に13歳になろうとしていた。家では皆気を遣って口にはしないが、最期の時が近いていることは誰もがわかっていたことだった。

○感情的吃音=

どうして苛立ったんだろう、怒りや悲しみ、喜びといった感情の反射神経が鈍いぼくが、どうしてその日に限ってすばやい感情的反応を起こしたのだろう?

思考は、感情的吃音というものが、孤独な自分を守る体のいい防衛反応であるということに帰着した。

プラの死を仄めかされたとき、ぼくは自分の存在の中核を脅かされたような気持ちになったのだ。プラはぼくの外延であり、ぼく自身でもあったのだ。物言わぬ動物を飼育するとき、その動物の人間的属性を飼い主自身が作り上げ、飼い主の世界の投射である動物と飼い主がプライベートな空間で関係する。
プラがぼくの外延であるとはそういうことだ。だから苛立った。男にひどい憎しみをいっときにして覚えたのは、プラを通じて自分が攻撃されていると錯覚したからだ。

言いかえれば、ぼくが感情的吃音症というものに罹患しているのではなくて、感動的な映画や壮大な景勝も、ただぼくの内的な世界に、つまりは自分の外延に触れるものではなかったという、ただそれだけのことであったのだ。人間関係に伴う感情が遅れるのも、美しい海を見てただ微弱な情動があるだけなのも、それが他者への無関心と自閉的な性格によって作り上げられたひとりよがりな内的世界の外側にあるものにすぎないためだった。

しかしひとは自分のからだの外側にあるものに共感し涙を流すことができる。ひとはそれを「感性」とよぶ。ぼくは「感性」がわからなかった。当然である。自分の内的世界の境界を、自分の身体とプラに限定してしまっているようでは、美しい海も素晴らしい映画も全くもって無意味なのだ。

(余談であるが、その頃ぼくが作った詩や短歌を見返してみると、どれも無機的で、情動が不自然な作品が多い。それらはすべて、じぶんに「感性」が欠如しているのを薄々感じながら、だれかの「感性」を想像して捏ねくり回したような雰囲気を帯びていた。)

プラは結果的に、ぼくが殻の中に閉じこもって外側の世界を拒絶していることを教えてくれた。大学に入ってからは、自分の内的世界に閉じこもっている暇がないほど周りの人々にお世話になっている。そのたびに自分の外延が拡散していくことに少し不安を感じることもあったが、今は素直に自分の変容を受け入れている。前の記事を書いてから時間が経っていたのは、その変容を自分自身が客観的に捉えるまで時間を要したからなんだろうか。

とりあえず、今度また日の出を見に行こうと思う。

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