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「遺伝子」っていうのは


まぁコレ。

おそらく先祖の記憶、つまり「経験則」を引き継いでいる。


その為、人類共通のアダムとイブの記憶がどこかに存在するハズ。

そしてこれは体感原則の取捨選択であり、ロジックの本体だ。

「知識」はただのそれを引き出す「目次」の様なものでしかなく、

誰かが既存のニュアンスを言語化したに過ぎない。


この、自分の中の「軸」であるフラクタルツリーを見出すのが人生だ。

これが暗記学習の無意味さであり、教育制度の罠であり、

共産主義者に仕込まれた「受験戦争」ほど思考停止を生むシステムはない。

「無理に勉強するほどバカになる」


自分自身が興味のない知識はむしろマイナスになるだけ、

単なる無目的な虚栄心・クイズの回答になるだけ。

ロジックの構成パーツにならず、知ったかぶりのツールになり、

役に立たないどころか詐欺師にミスリードされる。

多くのエセ賢者が小難しいワードをファッションにする無意味さだ。


暗記学習とは逆に、茶道や武道、ゲーム道でもいいし、

自分の軸があれば人は論理形成ができるので、おのずと道理が理解できる。

蓄積された先祖の情報から感覚的に正解を導くことが可能になるのだ。

それが知性であって、先祖代々引き継がれた遺伝情報の紐づけになる。

いわば「感性」という物の原理だ。

なぜこんなことが言えるかと言えば、以前の記事に書いたように、

メロディというモノが国境を越えたニュアンスの伝達を可能とするから。

音楽のメロディが一般言語以上の共通言語として世界中で共有されるなら、

元々これを人類の初期に伝達手段としてシェアしていたのだろう。

メロディは言語の起点でコミュニケーションの主流だったと思われる。

犬や猫の鳴き声がそれらの生まれ持ったものであるのと同義だろうし、

音の構成には先祖代々引き継いだ経験則のニュアンスがあると。


また瞑想とはおそらく言語化前のニュアンスを掘り下げる作業であって、

各個人が遺伝情報の起点に潜り込む技術であり、

掘り下げた先の先、その起点にはアダムとイブの記憶が存在し、

起点にあるこの先祖の記憶から、彼らの観た神の概念を知るのだろうし、

それがインスピレーションであり、アカシックレコードと呼ばれるモノ、

膨大な先祖の記憶のツリーだろう。


これが軸を持つという事に繋がる。

いわゆる「道」と呼ばれる人格形成の本質だろうし、論理。

茶道も剣道も野球道もゲーム道も行き着く先は同じ、論理構築になる。

これが因果関係を読み取る技術であり、知性だ。


多くの思想・発明、キリストやニコラ・テスラの思考は、

元にある遺伝子内のデータをアウトプットする技術だろうし、

本来であればそれは全人類が持ち得るだろう、脳内データベースだろう。

そうでなければ自他を超えた黄金律の様な共通認識を持ちえないし、

ピアノを乱打したテキトーなデタラメをメロディだと言い切れてしまう。

人類共通で持ち前の遺伝情報に最初から先祖の記憶が存在するはずだ。


さらに突っ込めば、この記憶回路は肉体の外部に存在し、

全人類の経験則の集積地は別の場所に存在していて、

遺伝子というモノはその為の微細な受信パーツの様な気すらする。

松果体はもっとも有効なインスピレーションのアンテナだろうし、

それによって全身にある遺伝子の最適化を繰り返していると。

それが進化の本質の様な気がする。


※割と電気信号の霊体粒子集合体が万物の本質であって、
自分というモノも膨大な微粒子の総合値により実体化してるだけかもね。
たまたま人間と言う無数の粒子の合体ロボとして自我がある気がするだけ、
微粒子総合値の最適解のすり合わせ、それがたまたま自分だったという。
ある意味誰かのラジコンヘリかもしれんとは思う。
果たしてこの記事は本当は誰が書いてるんだろう?

おわり


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