尻について語ろうと思う
尻について。
女の尻、例えば美人モデルの尻だ。
スタイル抜群で綺麗だと。エロい目線で観たとする。
しかし彼女たちの尻は過酷な節制の末、ぜい肉も無く、何かが無い。
エロい筈の部位である尻は肉が削げ落ち、
骨盤のせいで女性的な形はしてるものの、おそらくミイラの尻だろう。
仮にパンツを脱いだとて、おそらく嬉しくはない。
では最近流行りかもしれないムチムチのボリュームのある尻なら?
これも最初は嬉しいかもしれない。
しかしこれ、母親を連想してしまえばどうか?
ちょっと気が滅入った筈だ。
子供の頃そこに色気なんて感じた事は無く、むしろ生活感の象徴だ。
辛気臭く、疲れる、やがてはぬか味噌のにおいがしてくる。
さらに踏み込むなら、
ムチムチの尻なんて相撲取りの尻と変わらないという事だ。
男である相撲取りの尻に感じるものと融合させればごらんのとおり。
そして追い打ちである肛門。
尻肉は所詮肛門の外輪山に過ぎない。防壁、クッションに過ぎない。
当然、座る必要のない犬猫の尻には肉なんて無い、肛門丸出しだ。
肛門を守る外輪、尻肉にはその程度の意味しかない。
そもそもフェチと言われるように性欲なんて物はどこにでも向かう。
ダッチワイフでも二次元でも猫でも畳の目でも枕でもなんでもいいのだ。
シンパシー、依存と性処理欲求がたまたま異性に符合しただけ。
その時のアイコンが胸だったり尻だったりと、その程度。
親子のスキンシップの経験則が人肌を求めるだけ。
結局は感じるも感じないもフェイク、そこに本質は無い。
エロく感じるのも感じないのも都合のいい思い込みに過ぎないのだ。
肉体自体もその程度の意味しかない。
見た目がどうかとは刷り込み、いずれ意味を失う。
同じ物であっても年齢や病気で様変わりする。
良かったものがグロテスクに変わる。吐き気がする。
いずれ気付くだろうが、結局のところ普遍なのはマインドだ。
尊敬も愛情も人間の価値は内側にしかない。
おしまい