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「嘘つき」の正体


どうも経験上、彼ら自身は無自覚の様だ。

「ウソをついてる自覚が無い」


また彼らは権威主義者に多く、ほとんどの場合、知識偏重である。

つまり鵜呑みと拒絶の暗記人間は「外部に正解を求める」為、
思い込みと論理の区別がつかないのである。
傾向として自分のウソを真実だと思い込んでいるのだ。

自分が小学生の頃、高学歴のアホ親父は本人の社内用の作文を書かせた。
「家でのお父さん」がテーマだったハズだ。

その日、自分は暴力的で理不尽親父を極力オブラートに包んだつもりで、
「厳しいお父さんです」と大人社会に遠回しなSOSを書き込んだ。

するとこのクソ親父は「だめだ、こう書け」と、
結局は親父自身、9割「子供の作文」を捏造し、一方的に書き換えた。
その内容は自分が息子を甘やかせ、好かれているかの様な内容だった。
まるで毒親の真実とは真逆の内容。

更には絶対見つからない様に隠してあったスーパーカーのブロマイドを、
セロテープでぺたぺたと貼り合わせ、それをバックにツーショット撮影、
「笑顔の息子と子煩悩なお父さん」の写真までを偽造した。

こうして「甘やかされた出来の悪い息子と立派な父」を演じたのだ。
そんな千載一遇のSOS発信を看破され、当時は挫折感があった。

ある程度時間が経ち、この社内新聞を大事に取ってあった親父は、
この明らかに「自分が書いた作文」をなんと、

「息子が書いた」


と、ず~~っと思いこんでいたらしいのである。
なんだかちょっと理解できない思考だ。
フツー自分が書いた文章かどうか判りそうなもんだが、事実だ。

更に自分が自立する為に家で暴れた時も、

「尊敬されてると思ってた」


と抜かす。

このように暗記脳の権威主義者、つまりボーダーの無責任論者というのは、
願望妄想とリアルを区別するラインが存在しないと思われる。
依存ターゲットに全ての責任があるという事だ。

強い相手には従順に言いなりのまま、ひたすら状況に身を任せつつ、
逆に自分より格下と認定したターゲット全てを妄想で作り変えるのだ。

基準は力学・トップダウン


勉強のし過ぎで論理的な思考が不可能なんだろうし、
自分の行為に責任が伴っておらず、それを弱者に押し付けると。
だからウソと現実の境界が曖昧になり、力学次第で現実を改ざんすると。

基準となる息子に対し「絶対に正しい」と思い込む。


これでどんな虐待をしても、綺麗ごとやダブスタを連発し、
自分の行為を平然と正当化してしまえるワケだ。
相手が弱いという前提で万能の神として君臨できるという事だろう。

東京で出会った底辺グループも、結局は力学のみの権威主義であり、
自分の中にロジックが存在しない為、どんなウソでも吐けたのだろう。
彼らの中に罪悪感は無く、棒で殴りつけなければ何をしたかを理解しない。
小難しいワードを使うが、脊髄反射で物事を判断するワケだ。

平気で思い込みの都合のいいウソを根拠なくバラまけると。
ターゲットが誰かで相手が悪いか、自分が悪いかを記号的判断すると。

掲示板で20年以上粘着していた異常者も思い込みでネガキャンしていた。
自責の部分をカウントせず、反撃で自分が言われた事だけを恨み、拡散し、
何十年もヘイトを積み上げ、被害者ビジネスで利用していた様である。

都合のいい関係。

都合のいい大嘘。

権威主義者の下振れは、完全なトップダウンのロボットになり、
相手次第で真逆の対応を繰り返す。

その為、彼らに甘い顔をした瞬間から無限に憑りつかれ、
一生涯の安パイとしての基準にされ、粘着を受けると。

おそらく彼らは異性に注ぐハズのリビドーを何らかの口実で変換し、
ターゲットにマインドペニスである生霊を飛ばすのだろう。
性処理の道具として依存されているのだ。

都合のいい怒りや恨み、そういったベクトルで発散されるとしても、
実際は単なる性欲と同じニュアンスであろう。
こっちとしちゃ恨まれる理由が見つからないと。

性欲でなければ、ここまでしつこい一方通行もあり得ない。
何のためにフェードアウトしたのかすら考えに至らないなら、
どこまでも愚か、思考停止の魂の無い肉人形なのだろうかと。

つまり詭弁家なんてのは無自覚な権威主義の中央値であり、
妄想狂のボーダーなんて実際はそこら中にいて、
ただ単に現在の法の縛りや世間体次第でいくらでも犯罪者になる。
外部のルール設定次第で、いくらでも彼らをコントロールできるはずだ。

だって思考停止のロボットなんだから。

イノセント(無垢)とは暗記脳の権威主義者の事であり、
中央値のその下振れにはウソか現実かなんて判断できない。
彼らにしてみれば、

自分発信ですら「責任者は別にいる」のだ。


全てはターゲット次第で発現するかどうかが決断される。

宮崎勤が「自分は優しい人間だ」というのであれば、
犯罪がバレない限り彼は一生優しいままの善良な市民だったろう。

今現在、汚いコンプラを守っている多くの人がそのハズである。
バレなきゃ宮崎勤と何も変わらない、「優しい正直者」という事だ。

それが「噓つき」の正体だ。


おしまい

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