星新一賞没案08「因縁」

 最初はほんのささいな痴話げんかだった。それがいつもとは違いお互いに歯止めが利かなくなっていつしか本気の喧嘩になってしまった。半泣きになって台所に引っ込んでいった妻に嫌な予感はしてたがまさか包丁を持ってくるなんて。しかもあなたを殺してわたしも死ぬ。なんて言っている。妻の手にかかって死ぬことに不満はないがそのせいで妻に罪を着せてしまうのはまずい。落ち着かせようと必死に説得するが半狂乱になってしまった妻にはなかなか言葉が届かない。ついにはわき腹をぷすっと刺されてしまった。急所でもないし傷も浅いがなかなかに痛い。血を見た妻はようやく冷静になりしきりに謝ってくる。そうこうしているうちに警察が来た。近所の誰かが呼んでしまったのだろう。警察に連れられ俺は病院に妻は警察に連行されてしまった。
 ケガが治り、容体が安定すると警察から事情聴取のために警察署に来てくれと連絡を受けた。警察署の取調室で待っていると隣の部屋から何かをひっくり返したようなものすごい音がした。どたどたとおそらく暴れた音の主であろう強面の人物が入ってきた。手にはなぜか包丁が握られている。しかもあの包丁はこの間妻が俺を刺した包丁だ。事情聴取のために近くに保管されていたのだろう。そうして強面の人物は俺を人質に取り立てこもり始めた。数時間がたった頃ふと強面の人物に妙な親近感を覚えていることに気づいた。恐怖で気付かなかったが昔交通事故で亡くした友達に瓜二つだった。そのことに気付いてからは必死で彼に自首するよう説得した。もしかしたら逆上した彼に殺されるかもしれない。それでも彼のためならばこの命も惜しくはないと心から思えた。説得が効いたのか彼は自首することにしたようだった。俺は解放され彼は手錠をかけられた。もとは密猟がばれての事情聴取だったらしいが急にこわくなり逃げようとしたらしい。そんな小心者な部分も友達によく似てると思った。
 それから数日経って気分転換に町をぶらついている急に呼び止められた。振り返るとすごい形相でにらんでくる若い男がいた。聞くとどうやらその男はどうやらこの間警察署で立てこもった男の子分らしかった。子分曰く、兄貴は金さえ払えばすぐに釈放されるような軽い罪だったそれなのにあんなことをしでかす理由がない。つまりお前がなにか、たきつけるようなことをしたんだろう。この卑怯者め。というわけでお礼参りとして死んでもらう。とのことだった。聞き終わった私は思わず笑ってしまった。なぜならこれだけ慕われている彼が罪を重ねることを阻止できて、しかも美しい絆を目撃できたのだから。彼らの絆のためになるなら死んでもいいと思えた。なに笑ってんだよと子分がつかみかかってくる。痛みに対する恐怖も死への恐怖もない。ただこの間警察署で起こった出来事を子分に言い聞かせると納得したらしく、「あの人らしい」そう呟いてどこかに行ってしまった。
 今日こそは平和だ。妻と喧嘩したのは夏のことだったのに冬が近づきうっすら氷も張っている。油断していると男は滑って頭を強打してしまった。しかも運悪く頭の部分に鋭くとがった石が。薄れゆく意識の中この石のために死ぬ理由、そしてなにか因縁がなかったか思い出そうとしたがなにも出てこないまま俺は死んだ。

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