星新一賞没案05「盗り返しノート」

 道端に茶色い大学ノートが落ちていた。表紙にはどろぼうノート、とでかでかと汚い字で書かれていた。こんなものはただのゴミのはずなのになぜか持ち帰ってしまった。机の上にノートを置き表紙をめくると裏には表紙と似た筆跡で
「人間はみんなどろぼうです。盗るなら盗ったものを返しましょう」
 と書かれていた。ちょうど仕事帰りにノートを買おうとは思っていたけど、やはり落ちているもので代用しようなんて変な考えをしなければ良かった。恐る恐る何ページかめくってみる。が何も書かれていなかった。びっしりと変なことが書かれているかと思っていたが中身はとりあえず大丈夫だった。
 安心してノートから目を離すと視界に妙なものがあった。緑色の手ぬぐいを頭からかぶり端を鼻の下で結び、背中にはなにか入っているのか少し膨らんだ風呂敷を背負っている。要するに典型的などろぼうだった。
「きゃぁぁーーー!!」
 思い切り金切り声を上げて腕をガムシャラに振ってみるが全く当たらない。そうこうしているうちにマンションの同じフロアの住人が何事かと集まってきた。
「あそこにどろぼうが・・・!」
 泥棒を指さすがみんなぽかんとしている。ということはこの泥棒は幽霊的ななにか、ということになる。さっきは必死で気付かなかったけどあの至近距離で全くパンチが当たらないといいうことはないだろう。となれば集まってしまったみんなには見えていないことになる。ゴキブリのせいにするには騒ぎが大きくなりすぎてしまったので不審者を見たような気がした、ということで何とか場は収まった。それぞれの部屋に戻る道すがら誰が管理人に相談するかを住人たちは話し合っていた。
 さて、残る問題はさっきから一ミリも動かないこの泥棒だ。顔立ちは日本人っぽいが日本語が通じるだろうか。
「あのー、あなたは何なんですか?」
 恐る恐る尋ねてみる。すると緩慢な動きでノートを指さしながら、
「盗り返したいものあるならやってやるよ」
 それだけ言ったきり黙り込んでしまった。盗り返したいもの、急に言われてもすぐには思いつかない。とりあえず泥棒の方に注意を向けながらもキッチンの方に向かいまずは食事をすることにした。準備をしている時も、食事中も、片づけをしている時も全く動かない。思い切ってシャワーに入ってみることにした。泥棒はシャワーから出た後も変わらず同じ姿勢でいた。とりあえず何か害がある存在ではないことがわかり緊張感が少し和らいだのか盗り返したいものがあったことを思い出した。少し前に温泉に行ったときに携帯用のボディソープがなくなっていた。高級な中身ってわけでもないし洗い終わった後だったので特に気にしていなかった。
「携帯用のボディソープを盗り返してきて。」
 しかし、泥棒はめんどくさそうにノートを指し。
「書いて」
 とだけいった。泥棒にとっての契約書みたいなものなのだろうか。ノートに携帯用ボディソープ、と書いた。すると泥棒が書いた部分を指で2回トントンとたたいた。これをやれということだろうか?疑問に思いながら2回指で書いた部分をたたいてみる。すると泥棒の姿が一瞬揺らめいた。え?と困惑していると次の瞬間にはノートの上に盗られたはずのボディソープが乗っていた。ほんとに盗り返してきた。
 驚いていると泥棒はボールペンを一つ持っていた。そのペンも泥棒が一振りすると忽然と消えてしまった。ペンならたくさんあるはずだけどどうしてあのペンを?そうだ思い出した。あのペンはいつだったか同僚に借りて返しそびれていたものだった。盗んだわけではなかったけど泥棒にとってはそこらへんはあまり考えていないらしい。
「あんた真面目なんだな」
 急に話かかけられて心臓が止まるかと思った。
「ま、真面目ってどういうことよ」
「そのまんまの意味。返せるものがなかったら盗りにいけない。」
 普通、そこまでものを盗むことなんてあるのだろうか。
「じゃあ、もしどうしても盗り返したいものができたなら直前に誰かのものを盗ればいいってこと?」
「今からあとのはむり。そのときは別のやつに頼んで」
 こんなのがほかにもいるというのか。しかし、その中でも飛び切り無口なのを引いてしまったのか、みんなこんな感じなのか。とりあえずほんとに盗まれたものを返してもらえるなら一つ試してみたいことがあった。ノートに書きこんで2回叩いてみる。とりあえず今日は寝ることにした。この様子だとなにかしてくるということはなさそうだったけど、さすがにすぐには寝付けなかった。
 翌朝、寝不足で遅刻ギリギリに出勤すると課長から話があると呼び出された。課長のデスクの前には俯いていた後輩がいた。
「昨日の夜、君の後輩から数週間前のコンペで君の案を盗作していた旨の連絡を受けた。」
 まさか、ほんとにモノ以外も可能だなんて。ことを荒立てないよう説得する課長も、うなだれている後輩も目に入らなかった。後輩のことは許していそいそと自分のデスクに戻った。想定外の拾い物をどうやらしてしまったらしい。パソコンを立ち上げ昨日途中で切り上げていた資料を作ろうとしたがその資料がデータクラッシュしていた。たしかこの資料には同僚が泥酔してしまった席で漏らしていた案を自分なりにアレンジしたものを載せていたはず。とすると物を盗り返すなら物が、アイデアを盗り返すならアイデアを返さなければいけないということだ。しかし、泥棒もいい加減なのか几帳面なのかわからない基準で動くらしい。
 それからアイデアに関しては自分が小賢しい人間であると認めるような気がしてあれから一度もやっていない。物は何度か盗み返してもらったが、こういう時は真面目に生きてきたのが損に思えた。なにせ前回、返したのは確か小学生くらいの時のはさみだったから物を盗り返すことはほぼできないだろうと考えていたら、泥棒が
「物だとあと1回ね」
 律儀に教えてくれた。意外とサービス精神があったらしい。
「最後の時に返さないといけないものはなに?」
 泥棒は黙ったまま。さすがに代償を教えるほどのサービス精神はなかったらしい。しかし、あと1回か。今更ノートを捨てるにはもったいない、ここまできたなら最後まで美味しく使わせてもらおう。
 そのタイミングが訪れるのに1週間もかからなかった。同僚に恋人を寝取られてしまったのだ。私と恋人は結婚の日取りも決まっていた。結婚したら私の退社は決まっていたので仕事に未練がないように集中できるようにと別々で暮らしていたのにこんな仕打ちを受けるなんて。おそらく私の仕事どうこうはただの言い訳で最初から浮気が目的だったのだろう。
 普通なら恋人を許し結婚するか、関係を解消するかの二択だろうが幸い今の私には第三の道を進む選択肢があった。一度しか使えないが誰にも私の関与を証明できない復讐の道が。
 早速家に帰りノートと園芸用の小さなシャベルを掴んでまた出かける。恋人と同僚からの着信が何件もあったが無視して近くの公園の片隅にしゃがみ込み穴を掘り始める。日が落ちるのも早くなりすでにあたりは暗くだれかに呼び止められることはなかった。そうして小動物なら埋められるくらいの穴ができた。盗り返したものはいつもノートの上にポトンと落ちる。それを利用してこれから盗んだものをノートごと埋めてしまう。これ以上手元にあってもろくなことにならないだろうし、何より物を盗り返せないならあまり価値はないだろう。
 そうしてスマホのライトを当てながら盗り返すものを書く。そして穴にノートを置き先ほど書いた部分を2回叩く。するといつの間にか隣で佇んでいた泥棒の姿が揺らめいた。するとボトンと少し重いものが落ちる音がした。ということは成功したということだ。やっぱり彼らの判定は少し甘いようだ。
 恋人のハートを盗り返したい、と書いただけで心臓を盗ってくるのだから。やってしまったことの重大さに震えながらも土をかぶせるために屈もうとしたときに泥棒がまだ心臓を持っていることに気付いた。そのまま足に力が入らなくなって地面の上に倒れこみ走馬灯が駆け巡る。
 あー、そういえば私。心臓の移植手術受けてたな。

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