星新一賞没案11 「ミツバチとりんご」

 酒でストレスを発散するようなタイプではないのにその日はバーに足が向いてしまった。一人で飲むのも味気ない気がしたのでカウンターで先にできあがっている初老の男性の隣に腰掛けることにした。
「お隣失礼してもよろしいですか。」
「構いませんが、私はもう少しで帰らなくてはいけないんですよ。妻の迎えを頼んでしまったので。短い間でよければ。」
「ぼくも、酒に強いほうではないので2,3杯で失礼しようかと思っていたのでちょうどいいです。それじゃあ、カクテルをお願いできますか。」
「お好みはありますか?」
 そういえば、最近見た映画ではちみつ酒のカクテルを飲んでいるシーンを思い出した。一杯ひっかけてから帰る、という普段しないことをしているのだからもう一歩進んでもいいだろう。
「はちみつ酒ありますか?あればそれでカクテルをお願いしたいんですが。」
注文するとマスターはなぜか深くうなずいた。おそらく癖のようなものだろう。
「奥様が迎えに来られるようですが、遠くから来られたんですか?」
 初老の男性に向かって問いかける。店は繁華街と住宅街の境に位置していた。迎えに来るということは徒歩ではなく車の可能性すらある。
「ああいえいえ、ここから歩いて帰れるような距離なんです。ただ3か月ほど前に今日みたいにここで飲んで帰る途中にすべって転んでしまいましてね。その日はうんと冷えていたので薄氷が張っていたみたいなんです。それから毎日、昼間でも妻に横を歩かれて困ったもんです。いかんせん私も年ですから余計な心配をかけさせてしまってるのですよ。ちょっと前に連絡したんですが見ていた映画があと少しで終わるそうなのでそれから迎えに来ると言っていましたよ。」
 たしかに3か月前ならそんなこともあったかもしれないが、さすがにもう初夏といえるほどの気温になった今では無用の心配だろう。しかし、彼の奥さんに対してマイナスなイメージはわかなかった。おそらく気恥ずかしさから笑い話になるような言い方を初老の男性がしたのだと直感で感じ取ったからだ。
「お互い良い夫婦関係で愛しあっているんですね。」
 男性の照れ隠しを暴かないよう、なおかつ思ったことをそのまま口にした。我ながら真正面から、愛しているなんて言葉をよくもまあ口にしたものだと思う。まだ酔ってはいないはずなのだが。
「いやはや、実はそうでもないんですよ。いや今の言い方だと伝わらないな。たしかに私と妻は愛し合っています。ですがそれは一時のもので確実に終わることが決まっているのですよ。」
 男性の言葉を聞いてもまるでピンとこなかった。おそらく離婚がどうだとかそういうことを言っているのではないというはわかったが、男性が何を言わんといているのかまるで想像がつかなかった。
「お待たせしました。こちら、はちみつ酒のミードとりんごジュースをカクテルしたサイザーになります。」
 そういってサイザーとカットチーズが乗ったお皿が目の前に置かれる。マスターにお礼を言い、初老の男性と乾杯をした。
「すいません、久々だったものでつい要領を得ない話になってしまいました。拙いかもしれませんが私の話を聞いてはくれませんか。ちょうど妻が迎えに来る頃には話し終わると思いますので。」
 いつの間にか、マスターはほかの席の接客に向かっていた。
「実は私はいま、離婚歴が42あるんですよ。だいたい知り合ってから半年で結婚し半年後に離婚するような形ですね。まあ信じられないでしょうがこれが本当なんです。というのも性分といいましょうか運命と言いましょうか、私と結婚した女性は必ず私のもとを去ってしまい別の男性のもとに行くんです。もっというと女性は運命の相手ともいうべき男性と出会って私のもとを去ってしまうのです。浮気なんかではありません。ただ自然に、そこにあるべきものをそこに置いたかのように私の執着も消えるんです。それの証拠に私は今まで妻だった女性と夫の男性と今でも親交があるんですから。
そんなことを10回ほど繰り返した時でしょうか。噂というものはどこからか立つもので私と知り合えば運命の人と巡り合える、なんて言われてしまいました。その時ばかりは男の友人より女の知り合いの方が多かったですね。いわゆるモテ期なんて後にも先にもあの時期だけでしたね。しかし、その女性たちは全く運命の人に出会えませんでした。だんだん私もバツが悪くなりましてね。独身の男友達をくっつけたりなんかしたんですが1か月と持たないで別れてしまうんです。
これは話が違うぞということで周りにいた女性たちも一気にいなくなってしまいました。残ったのはただ不憫に思ってくれた女性一人。その人と変わらず会っているとなんだか恋愛感情が芽生えてきたんです。それは向こうも一緒だったみたいでまもなく私とその人は結婚しました。しかしそれから半年くらいたつと女性が運命の人に出会うんです。その時の私もなぜか不思議とこの女性にはこの男性しかいないと思えるんです。そうしてその女性も運命の人と出会い私のもとを去っていました。どうやら私とただ知り合うだけではダメなようで本気で愛し合わないといけないようです。」
 男性の話を肴に、もうすでにサイザーは残り少なかった。
「女性もそうなんですが、運命の相手となる男性にも実は共通していることがありましてね。それは私がこの話をしているときにサイザーを飲まれているんですよ。」
 男性の後半の言葉は耳に入ってこなかった。扉が開き男性の妻と思しき女性が店内に入ってきたからだ。背後に夜を背負い街灯のわずかな光に照らされていただけだが確信した。この女性は私の運命の人だ。
「ほらね。」
 そういうと男性はカウンターに突っ伏して寝息を立て始めた。

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