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ひなたの道と暗闇

何に対しても、これで間違えないって言う正解がないので

「どうせ分からないなら
 楽しい方に考えよう」

っていう、大河ドラマのセリフが響いた。
そうだよ、それがいい。


事実と真実は違うって聞くし、考えても予想しても詮ない。


これまでの人生で、見る目がなくて間違えてそれを選んじゃったのは自分だから、ただ同じ轍を踏まないようにする。


"信頼する人から裏切られない方法"という何かの記事を、春に見ていた。

・「人は常に変化する」を忘れない
・外見的な変化があったら
 頭の片隅に入れておく
・権限を与えない
・「そこまでの信用は必要か」
 「脇の甘さに繋がらないか」
 を考える

書き留めていたメモ


地道にコツコツ積み上げた"信頼"という宝物も、ひとつの出来事で一瞬しにて失うこともある。


それでも、やり直す気持ちさえあれば真摯に謝罪するとか、行いで示すとか、また時間をかけてコツコツ積み上げていければ、いつからでもやり直せるだろう。


例えば、裏切りっぱなしで謝る事ができない人を、信頼する事はできない。自分はしないと決めて、近づかなければ大丈夫。



今日、手続きに行く必要があって休暇を取り、午前中に用事を済ませて午後は映画館に行った。


不器用だけど、真摯に向き合う登場人物の姿に涙が出た。どんなに言われようのない批判を受けたとしても、誠実に積み上げていけば、自信になるし仲間はできるし、結果は後からついてくる。結果が出なくたっていい。
自分を好きでいたい。


何か良くないことをして、それが明らかにならなかったとしても、もれなく自分は知っているから、良い結果には繋がらない。気の毒なことだ。



『カムカムエヴリバディ』の再放送をやっている。

「ひなたの道を歩く」とは、成功する、輝かしい人生を送ることではないということも今一度思い出してほしい。

 『カムカムエヴリバディ』で「ひなたの道を歩く」とじつは対(つい)にあったのが「暗闇でしか見えないものがある、暗闇でしか聞こえぬ歌がある」というメッセージではないだろうか。絶望し自分に未来はないのだと、どん底に落ちてからも人生は続く。闇の中でもがき苦しむ中で遠くにひとすじの光が見え、かすかな歌が聞こえてきたら、人は傷だらけの体を起こし、なんとか光の方向へと歩き出す。「ひなたの道を歩く」の本来の意味は「顔を上げて自分が信じる道を歩む」ことで、これを体現できるのは暗闇の深さを知った人だ。

誰もが過去と未来とをつなぐ存在であること、日常の大切さと愛おしさ、自分が信じるひなたの道を歩くことの意味……

上村由紀子さん コラムより


物語にはいつも救われる。

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