私たちの場合
苗字は変えなかった。
子どもたちの衝撃と動揺を
少しでも減らしたかったから。
役所には
そのように届けることができる。
会社では
人事総務には届け出たけど
職場では黙っていた。
あの頃から
"沈黙は金"と
思うようになったのかも知れない。
おばあさまは
「〇〇を名乗ってくれてるから」
なんて美しき誤解をしてたけど
とんでもない
外面では
"かわいい孫"と話しながら
自らの思うようでないからと
私と2人の時は、息子のことを
"目の上のたんこぶ"と言う人だった。
引っ越しもしなかった。
転校は嫌だと言っていたし
経済的にも厳しいから
養育費がわりに
そのまま住み続けられるように交渉
私の離れたかった気持ちは
後回しにした。
実家は頼れなかった。
祖母を介護する父
寝てばかりいる母
転勤は3回
ドンドン遠くなった。
プライドも何もない
実家以外の頼れる先はすべて頼った。
火事場の馬鹿力
って事だったのかな。
"自由に、なりたい"
と言った息子たちの父親は
5年後に
"戻りたい"
とだけのメールをしてきた。
みくびられていたのかも知れない。
両親の介護が本格的になり
期せずして住まいが変わった。
わりとドラマチックな人生
かもね。
事実は小説より奇なり
かしらね。
今日は、こんな昔話で
失礼いたします。